生涯学習誌 すこ〜れ 月刊{SCHOLE} 310号〜2007/01月号
07/01/07UP
この人に聞くA人に感動を伝える!(3回シリーズ)

 本号「この人に聞く」はスポーツアナウンサー・島村俊治さんの「感動を伝える!」をテーマにした話の第2回。
 NHK退職後の現在もJスポーツの野球・ゴルフなどの実況で活躍。ソフトで知性的な語り口にファンも多い。インタビュアーはノンフィクション作家・川上貴光さん。話の中に川上さんのお父さんも登場します。

 携帯電話のメールやゲームの進出によって、人との「会話」を失っていく若者が増えていることを心配する島村さん。会話力をみがくことは感動体験を積み上げて感性をみがいていくことであると強調します。

 (聞き手・ノンフィクション作家 川上貴光)

●島村さんはコラムを書いていらっしゃいますが、話して伝えることとの共通点も多いでしょうね。私は、「取材は自分が聞きたいことではなく、相手のしゃべりたいことを聞け」と教わりました。

 そうすれば相手の本音を引き出せるのか、報道関係者に共通するテーマですが、しかし、誰もがいろいろな場面で取材に近いことをやっているのではないでしょうか。
 近くの八百屋さんのおじさんなんかうまいなあと思います。元気な声で買い物の奥さんたちを気持ちよく迎えると、「今日は
○○がいいですよ」から始めて、会話を重ねて相手の欲しがっているものをつかんでいきます。産地や調理情報などを入れ、お客さんの家族構成や好みなどをしっかり取材していますよ。(笑)八百屋のおじさんは、第一に相手の気持ち、立場になり、相手がしゃべりたいと思っていることを絶妙に引き出す。そして、顧客情報をさりげなく話しに混ぜ、「ご主人は○○が好きでしたね。だったら○○料理にしたら」と薦めています。
 野球の試合後の選手インタビューで、自分の意見を押し付けるインタビュアーがいます。
「サヨナラホームラン、良かったですねぇ」って聞くと、選手は「そうですね」としか答えられません。サヨナラホームランという快挙がどうだったのかを引き出さないとおかしい。せめて「どんな気持ちで打席に入りましたか」とか、「どんなボールを待っていましたか」とか。


●それではまだワンパターンですよね。

 インタビュアーが事前の取材をしていると、違う引き出し方でまます。たとえば、「この前対戦した時、やられた投手からのホームランですが」とか「ファームにいたけれど
、どんな練習をして、一軍に上がったらどうやろうと思っていたの」とか、選手のバックグラウンドから引き出すと、違う展開になります。どれだけ取材をしているか、どれだけ相手に迫っているか、そこからしか本音は引き出せません。
 それほどテレビの優勝インタビューやヒーローインタビューは難しい。一分とか三分の限られた時間で、しかも修羅場の中で聞きます。新聞記者のインタビューの場合は、終わってからみんなで取り囲んで時間に関係なく、起承転結がなくてもいいから、そういうときの方がいい話を引き出せる。テレビは短い時間で珠玉の言葉を引き出さなければいけないし、話しやすい雰囲気に持っていかなくてはいけない。欧米のインタビュアーは、選手と肩を組んだり、フレンドリーな雰囲気を作っています。ああいうのは、すごく大事だと思うのですが、日本では対面していますから、「ナイス・バッティングでしたあ」と始めてしまいます。(笑)

惨敗した堀井学選手への第一声

 長野オリンピック男子の五百メートルスピードスケートで、清水宏保君が金メダルを取りました。千メートルでは三位。千メートルでは、私は実況者ではなくてインタビュアーでした。レース終了後、氷上でインタビューしたのですが、五百メートルで金メダル、千では銅メダルで、彼の得意の種目ではありませんが、二つのメダルが取れたわけだから聞きやすかった。
 しかし難題は、期待された堀井学君が惨敗したことです。インタビュー直前まで正直言って何を聞こうか、私の心は決まりません。報道の通路があってそこで堀井君を待っている。テレビが最初にインタビューする権利があるので、レースが終わって三十分も待っていた。リンクの下の通路を出てくる堀井君の姿が見えた。マネージャーが抱きかかえて歩いてきたのだけど、五十メートルぐらい手前で突然、堀井君が立ち止まった。マネージャーが何か話している。「インタビューがあるよ」ときっと伝えたと思います。呆然と立ち止まっていた堀井君は意を決したように歩いてきた。
 まだ私は何を聞くか決まっていない。
 しかし突然、ヘルシンキ五輪(1952年)でのインタビュアー飯田さんの姿が頭をよぎりました。ヘルシンキの競泳男子四百メートルではホープの古橋広之進さんが惨敗しました。彼の最盛期、日本はオリンピックに不参加でしたから、そのときは確か八位でした。飯田さんという大先輩のアナウンサーが、「負けた古橋を責めないで下さい」って言いました。有名なアナウンスとして残っているのですが、私は一瞬その光景、言葉を思い浮かべたのです。
 堀井君がやってきた時に、私は「誰もあなたを責める人はいないと思う。つらかったねぇ」っていう入り方をしました。すると彼は、泣きじゃくって心を開いてくれました。レースのことは聞きません。惨敗の原因を突き詰めると彼を攻めることになるから・・・・・。
 二言目に、「でも、君にとっての長野オリンピックって、どうだったのかなぁ」って言ったら、「僕は負けましたけれども、子供たちにオリンピックの素晴らしさを伝えることはできたと思います」って言ってくれました。それを聞いたらもう充分でした。私は「堀井くん、ありがとう」とつぶやいていました。


●いい話ですね。そのシーンは私も覚えています。

 ソルトレイクシティ五輪に向けて、トレーニングを始めた堀井くんからNHKを辞めていた私に電話がありました。「架空の実況をしてくれませんか?世界記録を出して優勝するシーンを。僕が滑っているスタートからゴールまで、島村さんが実況をやってくれませんか」と。堀井くんは完璧主義者で、いつもレース実況を聞き、勝利をイメージしながらレースに向かっていたのです。
 園電話で、あの時彼は私の思いを分かってくれたのだな、と嬉しかった。「わかった。やろう」と二つ返事で了解しました。
 一方で、彼の完璧主義に不安も覚えましたが、NHKのスタジオで堀江くんの映像を見ながら実況を入れました。


●しかし、島村さんの不安が的中した。

 ええ、ソルトレイクシティでも彼の夢は叶いませんでした。
 同じケースがもう一つありました。私の場合、水泳の鈴木大地くん(ソウルオリンピック)や岩崎恭子さんの金メダルの瞬間に立ち会ったのですが、バルセロナの岩崎恭子さんは十四歳と六日。「何も分かんないまま買った・・・・」
 そう言うと彼女に失礼だけど、ある種の勢い、ラッキーな条件が重なって、自分の記録を四秒以上も縮めて金メダリストになった。ありえないことが起きてしまうのも、またスポーツの醍醐味だと思いますが・・・・。
 しかし、岩崎さんは四年後のアトランタでは決勝に残れず、コンソレーション・ファイナルという敗者復活の順位決定戦に出場、私はその時もインタビュアーでした。まわりは、「キンメダリストが何という成績だ」という評判でしたが、私は違いました。バルセロナから四年経った彼女は十八歳。オリンピック代表の手応えや国を背負う重みを分かったうえで、代表になりました。今度は勝たなければ、期待に応えたいとか、そういうプレッシャーで出場しました。
 結局、十位という成績でした。私はその時のインタビューでも、「恭子ちゃん、がんばったねぇ。金メダルと同じくらいの価値があると思うよ」って言ったら、泣きながら「本当ですかあ」って聞くから、「うん、そうだよ。オリンピックのプレッシャーを知った中、ケガもあったし、大変だったと思うけれども」と言いました。そのあといろんな話をしてくれて、「誉めていただいて嬉しかったです」という言葉でインタビューを終えました。
 私は、相手の立場をおもんばかって心を決め、自分の鑑識眼の中で、?でも、恭子ちゃんはアトランタの方が心底がんばったんだよ? と、まず声をかけたのでした。

選手の側も取材者をしっかり見ている

●敗者へのインタビューの難しさが分かりますね

 再び長野の経験ですが、五百メートル・スピードスケートで期待された島崎京子さんが負けました。人気の岡崎朋美さんが三位。島崎さんが本命でしたが、調整がうまくいかず、成績は振いませんでした。そのときも私がインタビュアーで、まず氷上で岡崎さんに「銅メダル」のインタビューをしました。
 次が島崎さんでした。面識があったから、「島崎さぁん」と呼んだ。彼女はこっちを向いたが行ってしまった。でも私は、「さすが島崎さんだなぁ。敗因をベラベラしゃべれるかい、と思ったんじゃないか」と、清々しくもありました。「島崎さんは行ってしまいました」と私はテレビで言ったのですが、続いて「こういう悔しい中でしゃべれないのは当然だと思う」と、言ってあげればよかったと後悔しました。
 何年か後、民放のテレビ番組に出ることになった島崎さんは、その時ディレクターに言いました。「実は私、昔(NHK)島村さんのインタビューを拒否したことがあります。面識もあったのにあの時のことは島村さんに大変悪かった思っています。謝らない限り、私は番組に出ることはできません」と。
 そこで、NHKにいた私のもとにディレクターから「ご対面の形をとりたい」と出演依頼がありました。現役のアナウンサーだからまずい、と断ったらそのディレクターは「分かりました。島崎さんが番組でインタビューをボイコットした理由を言いますが、かまいませんか?」と言うから、「いいですよ」と了解しました。
 これも私はすごく嬉しかったことです。気持ちは通じていたんだなあ、と。取材者がどれだけ選手と心を通わせるか、ということは大事ですが、同時に選手も取材者を見ているんだなあ、と実感することでもありました。

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