芸術生活社自己表現 2005 5月号特集 私の「憧れ」掲載記事
私の「憧れ」
「憧れ」の延長線上に

 少年はグラブとバットを小脇に抱えて、多摩川の土手を走った。放課後、今日も河川敷きのグラウンドで草野球が始まる、少年は憧れのスターたちに自分がなったつもりで夢の中にいる。「赤バットの川上哲治の微動だにしないフォーム、千葉茂の小刻みにバットを動かしてのライト打ち、青田昇の豪快なスイング。」ひとりぼっちの家にいるときは、ラジオを聞きながら、スコアブックをつけ、バットを振って真似をした。
 高校に進んで、丸坊主になり、早稲田のエビ茶のアンダーシャツとストッキングにあこがれて野球部に入った。夢の始まりに思えたが、そんな甘いものではなかった。片道2時間の通学と夜遅くまでの練習、鍛え方の足りない身体はすぐに音を上げた。半年で最初の挫折を味わう。暫くして男声合唱団に入部する。ハーモニーの魅力にとりつかれ、高校、大学とミュージカルにのめり込んだ。先輩にフジテレビの音楽デュレクターがいたこともあり、テレビ局に入り浸ったり、演奏会に明け暮れた。音楽の喜びを多くの人に伝えたい。自分が歌うのではなくミュージカル番組の演出をしたい。当時のテレビミュージカルの『夢であいましょう』『シャボン玉ホリディ』に夢中になっていた。ただ、私が卒業する昭和39年当時、民放の音楽デュレクターになるのは至難の技だった。ほとんど、採用がなかったのだ。
 「アナウンサーなら採用はありますよ」「いえいえ、アナウンサーになる気は全くありません」幸い、NHKに受かった。この年は受験者全員にアナウンサー用の音声テストが行われた。「やる気はありませんから」と断ったのに、採用はアナウンサーだった。人事の説明は「これからの時代はアナウンサーも番組を作りますから」「余程、私がハンサムだったからだろう」と思いたくもなるのだが、当時はまだラジオが全盛で、この頃からテレビに移行してゆく転換の時代だったのだ。
 こうして、私は鳥取放送局に赴任して行く。音楽ディレクターの夢破れ、第二の挫折を味わうのだ。天気予報やお知らせを読む仕事は好きにはなれなかった。毎晩、飲み歩いた。不摂生が続く、はねっかえりの新人が巧くなるわけはない。そんな時、「駅伝中継の第2放送車に島村を乗せてみよう。スポーツは好きらしい」
 米子から鳥取まで、2日間の長丁場を私は夢中でしゃべった。「スポーツの世界には、音楽と同じように、喜び、悲しみ、美しさ、悔しさなど人生を語れるような要素があるんだな」とおぼろげながら感じ、全力を尽くした満足感が私の心に残った。放送車の屋根の上から降りてきたら、車の運転手さんが声をかけてくれた。「シマちゃん、1号車の先輩アナより、よかったよ。スポーツアナに向いてるんじゃないの」
 アナウンサーになって初めて褒められた。本当は、素晴らしい出来であったとは思えなかった。それでも、褒めてもらえたことは嬉しかった。今でも、運転手さんの一言がなければ、私は違う人生を送っていたかもしれないと思うのだ。こうして、私はスポーツ実況中継のアナウンサーにこだわりを持って、40年以上もやり続けている。スタジオキャスターや芸能、ニュースなど、アナウンサーのジャンルはいろいろあるのだが、終始、現場から競技と勝負と戦う選手を見つめていたいという、この一点のために実況中継アナウンサーにこだわっているのだ。憧れと挫折を経験したからこそ、今度は最後までやってみたいのだ。そして、スポーツ実況には音楽と同じ、詩情、テンポ、リズム、何よりも美しさと悲しさが表現できるのだ。
 スポーツ実況アナとして私は「運」に恵まれた。オリンピックの実況は夏、冬会せて8回、水泳、陸上の世界選手権、ゴルフ、テニスのメジャー大会、大リーグ、NBAなど世界の舞台でスーパースターたちの戦いを見つめ、アナウンスしてきた。国内でもプロ野球、甲子園の高校野球を始め数々のビッグイベントに携わり、時に歓喜し、時に涙し感動の場面に居合わせることができた。私はオリンピックでも、「金メダルの実況をやりたい」などと一度も、これっぽっちも願ったことはない。
 鈴木大地や岩崎恭子の金メダルは世会おうもできなかった。清水宏保ですら、絶対ではない氷上の世界だった。「日本人のメダルを伝えるのではなく、勝負を見極めたい」と一心になっていると、思いがけず、「幸運」が舞い込んでくるのだろう。
 間もなく64歳になる私だが、今でもプロ野球、テニスの3つのグランドスラム、NBAなどNHK時代以上に忙しくマイクに向かっている。この年になったからこそ、見えてくるものもあるし、語れる心境もあるのだ。そして、子供のころ「憧れた」川上哲治さんと長い間マイクを共にして論された言葉を実行している。
 「人は成りきることです」
 そんな私から"明日を生きる"皆さんに贈りたい言葉がある。
 「今、私は憧れの延長線上にあった『スポーツ実況アナウンサー』に成りきってみようとしているのです。若い頃の『憧れ』は、きっと君たちの人生を切り開く『鍵』になることでしょう。そのための『出会い』に気づき、大切にする勇気を持ってほしいのです。



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