季刊誌 ぺだる VOI.13 冬号
インタビュー 岩崎恭子
「欲がないと結果はついて来ない」

 バルセロナオリンピック女子200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した岩崎恭子さん。14歳にして世界の頂点に立った少女が、4年後の五輪を迎えるまでには一体どんな心境の変化があったのか…?
競技引退後の指導者としての道、そしてスポーツ選手の妻としてのお話もしていただきました。

心の中を見透かされたようでドキッとしました
    “世界を驚かせた史上最年少の金メダリスト”

島村
 斉藤さんとお呼びしてもいいんでしょ?

岩崎
 最近だいぶ慣れました。以前は呼ばれても気づかない事があって(笑)。

島村
 ご主人の祐也君は、海外にも行った経験があるラグビーのトップ選手で、現在は豊田自動織機で活躍しているわけだけれど、栄養管理やサポートはどうしてるの?

岩崎
 母が私にしてくれたこととか、あとは本で調べたり、水泳選手のケアも参考にしています。結果がいい時と悪い時で疲れ方が違うのも分かっているので、負けた時は私も静かにしていますけど(笑)、主人は一人で集中したいと、自分の部屋でノートをつけたりしてますね。ラグビーっていろいろ考えたり、神経も使うスポーツだと思います。

島村
 ところで恭子ちゃんは、八月にシンガポールで開かれたユースオリンピックでコーチをしたよね。自分がバルセロナオリンピックで金メダルを取った年に生まれた18歳から、下は14歳までの選手を見たわけだけど。

岩崎
 選手の時は自分のことだけ考えてればよかったんですけれど、コーチは全体を見なければいけなくて、ほんとに大変な仕事だと思いました。どれだけサポートできたかわかりませんが、国際大会に出て海外の選手と戦うことは大きな経験と自信になるので、これを次に繋げて何かを気づいて欲しいです。

島村
 選手に与えただけでなく、逆にあなた自身も得られたものがあったんじゃない?

岩崎
 そうですね。試合で指示をする時、どのタイミングで言葉をかけたらいいか、一度しっかり考えて言わないといけないんだなあということを学びました。

島村
 大事なレースでどれだけ適切な一言をかけられるかだよね。バルセロナの時は、予選が終わって、鈴木陽二コーチが、「恭子、満足しちゃダメだぞ」と言ったという話を聞いて、いい所でうまいこと声をかけるんだなあと思ったけど、それは覚えてる?

岩崎
 覚えてます。日本記録を大幅に更新して浮かれてしまって(笑)、もういいんじゃないかっていう気持ちがあったので、鈴木先生に「もう一回泳ぐんだよ」といわれて、心の中を見透かされたようでドキッとしました。

島村
 鈴木陽二さんはソウルで鈴木大地に金メダルを取らせた人だけど、選手の気持ちをうまくコントロール出来るんだと思う。決勝前に観客席から「恭子ちゃん、どう?」って声かけたら、「落ち着き過ぎてびっくりしてます」って言うんだよね。その後、今度は取材で来ていた鈴木大地とすれ違ったら、彼も「いけますよ。こういう勢いが大事なんです、オリンピックは」って。
 これだけお墨付きをもらったらもう、「よっしゃぁ」という感じでね(笑)、放送席に向かったんだけど。

岩崎
 ほんとですか?そんなことがあったなんて初めて聞きました。

島村
 僕が一番驚いたレースは、決勝じゃなくこの予選なんだよね。あの時突然違う恭子ちゃんが出てきたでしょう。世界記録保持者のアニタ・ノールに勝ちそうだったものね。

岩崎
 百分の一秒差でした。タッチした後のスローモーション映像で、彼女が「えっ?」という感じで横を見たんです。持ちタイムから言えば、私は到底及ばない記録でしたから。


島村 六秒ぐらいの差があったでしょう。あなたは31秒台だったよね。それを4秒も縮めちゃうなんてことは、普通、水泳の世界ではありえないことなんだから。

岩崎
 そうですね。それがオリンピックでできたというのは、もちろん成長期だったこともあるかもしれませんが、それだけじゃなく、練習をすごくやらなきゃいけない時にぴったりその練習がはまったんだと思います。

島村
 予選の後、アメリカの報道陣が、恭子ちゃんのデーターがなくて僕にいろいろ聞くわけ。「どこに住んでるんだ」「富士山が見える静岡だよ」(笑)。そこで「もし勝てば史上最年少のチャンピオンになるのか?」と聞かれて、調べてみたら確かにそうだったんだけど、敵がそう考えてるならひょっとすると行けるかも知れないと思ったの。でも、金メダルを取って表彰台に向かう様子を実況しながら、すごく心配になった。これで日本に帰ったら揉みくちゃにされるだろうなあ。このままいい水泳人生を歩んで欲しいなあって、もうお父さんみたいな気持でね(笑)


金メダルの重圧に耐えて臨んだアトランタ

島村
 実は勝った話より、僕はその後の4年間が、岩崎恭子にとって一番大事な軸だっただろうなあと思う。故障して泳げない時もあったよね。実際どう思ってました?

岩崎
 環境の変化に戸惑いもありましたし、活発で好奇心旺盛な女の子が、好きで水泳を始めて、いい記録を出したい、優勝したい、泳ぐんだったら一番っていう気持ちを持ち続けながらやってきて、実際一番になったらそれが重荷になってしまった。一番じゃなきゃダメなのかと思ったら、勝つための欲もどんどんなくなってしまったんです。なんでも欲がないと結果はついて来ないなと気づいたのは、バルセロナから2年後ぐらいでした。

島村
  周囲の人は、世界一になったんだから勝って当たり前、出るレースはみんな勝つと思ってるんだよね。その時はプレッシャーより、もういいやという感じだったの?

岩崎
  私の中では勝たなきゃいけないという気持ちはもうなかったんですけど、その時は代表に洩れたら洩れたで新聞に載り、結局ダメでも騒がれて、同じ騒がれるならやっぱり勝つ方がいいと(笑)。そんな中、サンタクララの遠征に選んでもらったんです。そこは中学1年の時に、泳ぐ度に記録が伸びたプールで、泳ぐのがすごく楽しかったことを同じ場所に行って思い出せたんですね。道がパッと明るくなったような感じでした。


いろいろ乗り越えないとここには来れないんだ

島村
 そこからまた次のアトランタを目指してみようという気持ちになっていくんだね。

岩崎
 そうですね。また水泳に対しての欲がどんどん大ききなっていったんです。

島村
 金メダルを取った時は、オリンピックがどんな物か、その重要性もよくわからなかった恭子ちゃんが、それを本当に理解した上でトライする時、次はどうやって泳ぐのか、僕はすごく興味を持って見てた。周りは連覇とか、ある種の色眼鏡で見ただろうけど。

岩崎
 タイムがなかなか出せない中で、目標タイムを自己ベストではなく、「今出せるタイムにしてみろ」と、中村真衣ちゃんのコーチの竹村(吉昭)先生に言われて、楽になりました。二連覇より、まず国内で勝たないとオリンピックに行けないという、一つ一つ目の前の現実なことを考えなくてはならない状況でしたけど、メディアで取り上げてくれるのは幸せなことだとわかってましたし、プレッシャーも感じないで、やれることをやろうという気持ちでしたね。結局、アトランタでは決勝に残れなかったんですけど、少しでもタイムを上げようと思って泳ぎました。

島村
 順位決定戦に臨んだ時、僕はインタビュアーで、すごく恭子ちゃんのことを褒めたよね。世間では、恭子ちゃんが決勝に残ってメダル争いをするだろうと期待してたけど、僕は、金メダリストがその後の四年間、オリンピックの重みを感じながらトライしたことが素晴らしいんだから、暖かく迎えてあげたいと思って、あなたを待ってたんだけど。

岩崎
 他の人には淡々と答えていたのに、島村さんが「よくやった」と言ってくださって、「やっぱり見てくれてたんだなあ」という嬉しさもあって、号泣してしまいました。

島村
 あそこで涙したことが、どれだけ厳しい物に向かって頑張っていたのか物語っていたと思うけど、あの時恭子ちゃんは、本当のオリンピック選手になったんだなあと思った。

岩崎
 オリンピックへの気持ちを強く持って、いろいろ乗り越えないとここには来れないんだというのを気づかせてもらえました。


強い選手たちがどう育成されているのか興味があった

競泳選手をやめて選んだ指導者の道

島村
 恭子ちゃんにとって、アトランタに行ったことはとても大事なことだったと思うけど、日本に帰ってから日大に進んで、そこで水泳をやめることになるんだよね。

岩崎
 その時もすごく悩みました。水泳部の部長の石井(宏)先生に泣いて話をしたんですけど、アトランタまでの四年間で、やるなら中途半端じゃなく、オリンピックを目指すぐらいの気持ちがないと成長できないのはわかっていたので、今の気持ちでは水泳に対して失礼だと思ったんです。サポートしてくれる先生方や環境に対しても。それで、競泳としての水泳はここで終わ理にしようと考えたんですけど、水泳で大学に入っているので、反対されるかと思ったんです。でも石井先生は意外とすんなり了解してくださって。

島村
 それはやっぱり、石井さんが共同通信の記者として、マスメディアから見た選手の状況もわかっていたし、ましてご自身もメダリストで選手の心境もわかる。そういう人が監督だったのは恵まれていたと思うよ。

岩崎
 確かに私は人に恵まれていると思います。恩師や出会う方出会う方、皆さんそれぞれ魅力を持っていらして、そういう方とご一緒すると、自分も世界が広がるんです。

島村
 それで競泳選手をやめて、アメリカにJOCの存外研修で留学するわけだけど、これからの自分の生き方を探りながら、方向性を求めようということだったのかな。

岩崎
 今後も水泳には携わっていきたいという気持ちと、恩返しをしたいという思いがあったので、子供のレッスンをやってみようと思った、強い選手たちがどう育成されているのか興味があったアメリカで、コーチの勉強を始めたんです。それ以外にも学んだことはたくさんありました。バルセロナの後、本心を伝えたら大ごとになったことがあって、なかなか自分の意見を言えなくなってしまったんですけど、向こうは国民性の違いなのか、小さな子でもちゃんと自己主張するんですよね。やっぱりはっきりと自分の考えを伝えることが大事だなあと実感しました。

島村
 家庭との両立はどう考えているの?

岩崎
 理解してくれる主人がいるので、小谷実可子さんとか、家庭を持って子育てもしながらスポ−ツに関っていらっしゃる方にご相談して、やっていきたいと思います。

島村
 あなたのようにエポックメイキングなことが人生でたくさんある人は、平凡な日々は少ないと思うけど、家庭はそういう日が続く時が幸せだから、大事にしてください。ところで、機器や道具を使うのは得意なほう?

岩崎
 スポーツをやっていない人よりはできると思うんですけど、水泳選手って、球技や道具を使った競技の方たちと体力勝負をすると、やっぱり弱いんですね。動体視力がなかったり。それで苦手意識が少しあります。

島村
 自転車でプールに通ったりしてたの?

岩崎
 すごい坂道だったので、プールに自転車で行くことはありませんでしたけど、小さいころからずっと乗っています。今も近所へ買い物に行く時は乗りますよ。でも、車を運転していて自転車の方が近くにいると、すごく危ないなと思う時もあります。小学生の時から、交通安全週間以外にも、マナーをもっと勉強したらいいんじゃないかと思いますね。

島村
 競輪には興味がありますか?

岩崎
 以前、仕事で競輪を見に行ったことがあるんです。それに、水泳をやめてから中野浩一さんとお会いする機会があって、それ以来、雑誌やテレビも意識して見るようになりました。オリンピックの競技も見ています。一度、ウォーキングの大会で平塚競輪場がスタートだったことがあって、初めて実際にバンクの周りを歩いたんですけど、この傾斜を走るのかって、びっくりしました。私には自転車のセンスがないので無理ですね。

島村
 ご主人はラグビーを引退したら、自転車で行けるかなあと思うんだけど。

岩崎
 重たすぎるんじゃないですか??(笑)

島村
 大きい選手もいるよ。まあ、これを機会に競輪にも興味を持ってください。

岩崎
 はい。ありがとうございました。



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