スイミングマガジン・「2003年8月1日号」掲載記事
島村俊治の会えてよかった(24) ゲストは「田中ウルヴェ 京」さんです
はじめに
  東京都港区白金といえば、メーンストリートから一歩入ると高級住宅街である。1988年ソウル五輪シンクロナイズドスイミング、小谷美可子さんとのデュエットで銅メダリストとなった田中ウルヴェ 京さんは、その白金にある事務所で各種プロスポーツ選手、オリンピック代表選手をはじめ、広く一般にも応用したメンタル・スキル・トレーニング指導を中心に、さまざまな仕事を展開している。フランス人男性と結婚、二児の母として子育てに励みながらも。精力的に活躍中と聞き、さっそく事務所におじゃました。
基本的に私ができるのはスポーツ心理学を
ベースとしたメンタルスキルを教えること
島村 お久しぶりです。現在はメンタル・スキル・トレーニング指導をメーンとして、幅広くご活躍のようですね。
田中 『MJ コンテス』という会社を昨年立ち上げて、今年の4月から本格的に活動を始めました。中川準子さんという、メディアプロデューサーをしていた人と・・・・・彼女とは飲み友達で以前からお付き合いがあったのですが(笑)、二人で中心となって始めたのです。
島村 田中さんは、本も何冊か執筆されているでしょう? 文章を書くことからカウンセリングまで、何でもこなせるんですよね。
田中 基本的に私ができるのは、スポーツ心理学をベースとしたメンタルスキルを皆さんに教えること、それは水泳だけでなく、他のスポーツでも行っています。例えばJリーグの選手に、引退後のいわゆるセカンドキャリアについてアドバイスするのもその一つ。
現役のときにセカンドキャリアについて考える事がなぜ大切なのか・・・・スポーツ心理学でアスレティック・リタイヤメントという分野があるんですけど、その理論をもとにして教えています。
島村 そのほかには?
田中 大相撲ですね。ある部屋を担当させていただいているのですが、そこの力士さんに、メンタルスキルを一からアドバイスしています。親方もすごく興味を持ってくださって、ご自身もメンタルトレーニングに取り組んでいます。あとは一般企業のコンサルティング。新入社員、中堅社員、定年を迎えられる社員の方、それぞれに合ったプログラムをお出しして、週に何回か、あるいは月に何回か講演をしています。
島村 メンタルトレーニングというのは、5分や10分で語りつくせるものではないと思いますが、基本的には、その人が遭遇するさまざまな場面で、自分の持っている最高のものを発揮するために必要な“心のあり方”ですよね?
田中 はい、まったくそのとおりです。もちろん研究者によっていろいろなアプローチがあるんですけど、例えば集中したいときに集中できるようにするトレーニングとか、感情のコントロールなどですね。感情は決して抑える必要なないんですけど、どうやって調整するかということ。カッとなったり、すごく落ち込んだりすると、やはり実力を発揮できません。うまく自分のピークパフォーマンスの感情状態に持っていくためのトレーニング、あるいはコミュニケーションスキル、リーダーシップトレーニング・・・・・メンタルの世界は本当に奥が深いですね。
島村 難しいですよね。でも、実際にアドバイスした相手の人が、いい結果を出してくれるとうれしいでしょう。
田中 はい。「この間教えてもらった感情トレーニング、すごく効きました」なんて言っていただけると、うれしい。良かったなぁと思います。
●13〜17歳くらいまでは楽しかった。
練習をすればするほど上手くなり順位も上がっていきましたから
島村 ところで、水泳はいつ始めたのですか。
田中 水泳そのものは6歳からです。
島村 最初は競泳ですよね?
田中 はい。いわゆる水泳教室ですね。ワカバ水泳教室という、東京では伝統的に日本泳法を教えていたところです。上野毛のセントメリーズの学校の中でプールを借りてレッスンしたり、確か聖心女子学院のプールでもやっていました。
島村 シンクロを始めたのは?
田中 10歳です。当時、ワカバ水泳教室の先生の一人がシンクロに興味をもたれていて、ご自身で少しシンクロを始められていたのです。で、「京ちゃん、ちょっとやってみない?」と、すすめられて。
島村 そのころの日本シンクロ界は・・・・・。
田中 藤原さんが世界選手権に出ていたころです。藤原さん姉妹を見てシンクロを始めたといっても過言ではないです。
島村 そういう人は多いですよね。
田中 はい。伊東恵さんもそうですし、あのころは皆、そうですね。
島村 シンクロを始めてからは、ずっと順調でした?
田中 12歳で東京シンクロに移りました。そのときにはもう、伊東さんは東京シンクロにいて、私が入った翌年に小谷美可子さんも入りました。伊東さんはかなり上手なお姉さんで、私と実可子ちゃんは同い年だったので、二人で“おみそ”見たいな形でお姉さんたちにくっついていた(笑)難しい練習もたくさんありましたけど、美可子ちゃんのほうがかなり上手でした。私だけスピンができなくて、必死に練習していました。当時は、東京シンクロが一番強い時期でもありました。
島村 思い出はいろいろあるでしょう。
田中 ほのぼのとした水泳教室あがりでシンクロに移って、いろいろな先輩との上下関係を教えられて戸惑うことのほうが多かった気がします(笑)。なんだか怒られてばかりで・・・・・
まだ子供でそういうことの大切さを理解できなかったから単純に嫌でしたね。でも、13歳のときにジュニアの日本代表になることができて、伊東さんと美可子ちゃんと3人でカナダの国際大会に行ったあたりから苦しいことも少しずつ楽しくなってきました。毎日、練習をすればするほど上手くなっていくのが実感できたので。13〜17歳くらいまでは多分楽しかったと思いますね。ナショナルAチームにも15歳で入れましたし。演技をすれば順位が上がり、やりがいがあって楽しくてしょうがなかったです。
島村 伊東さん、小谷さんの存在は、やはり田中さんにとって大きかったと思います。
田中 そうですね。伊東さんは姉御肌で、絶対に弱音を吐かない、見せないという方でした。それに、優しかった。大会の決勝前に私の手が震えると、手を握ってくれたり・・・・・。ナショナルチームで初めての決勝前には、「泣いたらもっと息が苦しくなるよ。泣いたってしょうがないから、一緒に頑張ろう、京ちゃん」と言ってくれたり・・・・・。私にとっては、すごく尊敬するお姉さんです。
島村 ソウル五輪も一緒に行きましたよね。
田中 正直言って、私とはライバル関係だったはずなのに、まったく嫌な雰囲気を見せないし、決勝の日にはおにぎりを作ってくれて・・・・・。今でもそれは忘れてないです。
島村 小谷さんとは?
田中 美可子ちゃんと私は、中学時代はケンかばかりしていましたが(笑)、彼女が米国に1年半くらい留学したときは、ずっと文通をしていました。お互いに子供だから、すごく一生懸命に手紙を書いて、彼女が帰国するまで続けていました。もう、友達以上の関係ですね。ケンカもいっぱいしたけど、言いたいことを言い合えた。
島村 でも、それがかえって良かったかもしれないですね。長続きして。
田中 そうですね。大学1年のころ、美可子ちゃんがメディアに取り上げられるようになったときは、私も出たいのにという思いもあって、すごくうらやましかったですけど(笑)。
●自分の好きなシンクロを将来
何らかの形でやりたいと言う夢はあります
島村 第一線から退こうと思ったのは、いつ、どういう理由で?米国へ留学して勉強するというプランがあったからですか。
田中 それだったら、すごくかっこいいんですけど(笑)、大きな理由は体調面です。ソウル五輪後も、本当はもう一年だけでいいからソロをやりたかったんですけど、耳がすごく悪くなっていまして・・・・・最後のソウル五輪の一年は、中耳炎の悪化から鼓膜の中に水がたまっていて、注射をして水を抜くことを何度も繰り返していたんです。
島村 ソロをやってみたかったんですね。でも、世界選手権でしったけ?ソロで国際大会に出ましたよね。
田中 86年に1年だけ、ソロで優勝したので世界選手権に出たんですけど、そのときは4位だったんです。でもソロは本当に好きだったし、もう一つ好きな曲を残していたので、もう1年だけやりたかった。だけど、やめてしまった。後輩たちに負けるのが恐かったんでしょうね、きっと、単純に(笑)。
島村 第一線で活躍して結果を残したこと、そして心理学を勉強した事が今の仕事につながったのでしょうね。
田中 大学院での心理学が基礎ですね。
島村 今後のシンクロ界、水泳界とのかかわり方などについてはいかがですか。
田中 自分の子供もまだ小さいですし、今はコーチもできないので、しばらくはメンタルのことを指導しながら学び続けたり、文章を書いたりなど、静的な仕事が多くなるかなと思います。動的な仕事・・・・・自分自身で身体を動かしてコーチをするといったことは、子供から少し手が離れてきたら、ですね。やはり動の部分は、それが私のもともとの部分ですし、元オリンピック選手ですと言っていながら、健康的じゃないのも良くないと思うので(笑)、自分の好きなシンクロを何らかの形でやりたいという夢はあります。
 実は先日、少しだけキャンプレッスンみたいなことをやったんですけど、やはりすごく楽しかった。ちょっと足を上げただけで、皆さんが喜んでくれて(笑)。「アー、私、そういえばシンクロ選手だったっけ。とっても大事なことを忘れているなあ」と思いましたね(笑)。
島村 身体は演技を忘れていなかったんですね。
田中 手の動作も覚えているし、足のかき方も忘れていなかった。「あっ、捨てたもんじゃないかも」なんて思ったんですけど、スピンで目が回ってしまって(笑)。でも、身体を使って疲れることがこんなに気持ちいいなんて、最近忘れていましたから、うれしかったですね。実は日大水泳部時代の仲間からサーフィンを教えてもらう計画も今あるんですよ。そろそろ静から動に移り始めないと(笑)。
終わりに
 水から上がって10年以上もたつのに、相変わらずスタイルはいいし、気持ちよくコメントするし、クレバーな面を感じさせる。まったく飽きることのない対談だった。じっくりと一つの事に取り組むのか、好奇心旺盛に多くのことにトライするのか・・・・・いろいろ考えはあるようだが、そろそろ水が恋しくなってきたようだ。しかし、無理をすることはない。心のおもむくままに、その才能を発揮していってほしいものだ。


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