スイミングマガジン・「2004年03月号」掲載記事
島村俊治の会えてよかった(26) ゲストは「青木 剛」さんです
はじめに
 2004年、アテネ五輪の年を迎えた。日本水泳会は北島康介を中心に、レベルの高いチーム編成が期待されている。かつてはヘッドコーチとして、その後は競泳委員長として、長きにわたり日本代表をリードし、オリンピックをはじめとする国際大会での輝かしい結果につなげてきた青木剛さん。その尽力は水泳会のみならず、日本のスポーツ界全体に波及している。経済的にも恵まれてきた日本のスポーツ界は、海外遠征や環境も含めて、世界で戦える要素が増えてきた。それだけに、現在のスポーツのあり方を問われることも多々あるようだ。日本のスポーツ団体が集まる総本山、岸記念体育会館に青木さんを訪ねた。
現場の選手やコーチがやる気満々ですから、
プレッシャーを感じる必要もない
島村 オリンピックイヤーで、またお忙しいでしょうね。今年は特に、水泳は期待されていると思いますし・・・
青木 そうですね。昨年のバルセロナ世界選手権が好成績だったので当然、期待は大きいと思います。
島村 実際に青木さんが日本の水泳界をリードされるようになったのは、88年のソウル五輪からですか?
青木 その2年前、86年のアジア大会とソウル五輪で競泳ヘッドコーチを努めまして、(財)日本水泳連盟の競技委員長に就いたのはソウルの翌年からです。
島村 ということは、ソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニーと、オリンピックはこれまですでに4回もリーダー的立場で経験されてきたわけですね。私も3回、ご一緒させていただきましたが、日本選手が4位というシーンを実況することが結構多かったんですよ。金メダル獲得の場面にも何度か出会えたのですが、4位で残念な思いをすることも少なくなかったんです。
青木 そうでしたね。
島村 で、ぜひとも今年のアテネ五輪ではたくさんの朗報を届けていただきたいと思っていますが、現状はいかがですか、青木さんご自身にかかるプレッシャーとか・・・。
青木 集まあ、これまでにもいろいろなプレッシャーはありましたから(笑)。それはさて置き、まず現場の選手やコーチがやる気満々ですからね。そういう姿を見ると頼もしいなと思いますし、そんなにプレッシャーを感じる必要もありません。
島村 選手層についてはいかがですか。例えば、ここ何回かのオリンピックとくらべて、選手の全体的なレベルは上がっているのでしょうか。
青木 メダルの可能性を持った選手は増えてきたと思います。ただ、昨年の世界選手権の結果をみると、入賞者数が少ない。これはやはり、将来に向けての大きな課題になりますね。というのは、世界選手権の個人種目でメダルを取った北島康介(日本体育大/東京SC)、山本貴司(近畿大職員/イトマンSS)、中西悠子(近畿大/枚方SS)、稲田法子(セントラルスポーツ)は、皆、シドニー五輪で入賞した選手。入賞というステップを踏んで、その後の国際大会でのメダル獲得につなげてきたわけです。北島にしても、まずシドニーで4位に入り、2001年の福岡世界選手権で銅メダルを取り、その後2年間の飛躍につなげたのです。だから、現状、入賞者数が少ないということは、メダルの向かってステップを踏んでいる選手が少ないということになるのです。
島村 なるほど。
青木 バルセロナとアトランタは、入賞ラインが日本の実力だという見方もありました。岩崎恭子さんの見事な金メダル獲得はありましたけれど、全体的なレベルは入賞ラインだったのです。シドニーからですね、メダルの可能性を持った選手が実際に表彰台に上がれるようになったには・・・・。
●最近は選手たちの気持ちが強くなっている。
具体的に言えばメダルへの意欲が・・・・・・
島村 特に日本では、オリンピックへの注目度がいつも高いですから、どうしてもメダル、メダルと騒がれることが多いですよね。そんな騒がなくてもいいんじゃないかと思うくらいに(笑)。メダルを手にするためには、運みたいなものもありますよね。
青木 確かに、そういう部分もありますね。
島村 だから、すごくシンプルな言い方ですが、選手にとってはオリンピックに行って、まず自分の実力を精いっぱい出せるように努力することが大事でしょう。
青木 そうですね。まずそれが第一ですが、最近は選手たちの気持ちが強くなっていると感じます。具体的に言えば、メダルへの意欲ですね。北島のように、それを口に出して有限実行で実現する選手もいますし、精神的にもたくましい選手が増えてきたように思います。
島村 それは非常にいい傾向ですね。特に北島選手は、今年また特に楽しみでしょう。
青木 当然のごとく、本人は記録的にはもっと高いレベルを目指していますし、それを目標に一生懸命に取り組んでいます。まあ、オリンピックですから何が起こるかわかりませんけど、最善の方法で着実に実力を伸ばしておく。それが必要不可欠ですね。
島村 北島選手は、青木先生のクラブ(東京SC)の所属ですよね。小さいころはどんな印象だったのですか。
青木 5歳の時に入ってきたと思いますが、北島の存在に気付き始めたのは小学生のころ。選手コースに将来有望なジュニアが15〜20人くらいいたのですが、彼もその中の一人でした。でも、まだ当時はそれほど目立つ存在ではなかった。
島村 本格的に頭角を現してきたのは・・・・・
青木 中学3年です。全国中学の100,200m平泳ぎで優勝しまして、もしかしたら将来、日本代表選手なるのではないかと思いました。高校1年時のインターハイも印象的でしたね。100m平泳ぎで優勝したのですが、とにかく前半のスピードがずば抜けていた。
このときですね、私を含めて東京SCの関係者が、北島は間違いなく日本のトップクラスの選手になると確信したのは。
島村 平井伯昌コーチとの関係も非常にいいですね。
青木 北島が中学3年のときから本格的に指導を始めて、順調に伸びてきていますし、コンビネーションは抜群だと思います。北島の性格なども含めてすべてをとてもよく理解していますし、何よりも指導法が"押しつけ"ではない。むしろ、北島の才能を引き出すような形で指導してきた。二人の間に関しては、それが良かったのではないかと思います。
島村 信頼関係は、ますます深まっているようですね。
青木 2年前のパンパシフィックで、北島はけがのため途中で棄権してしまったのですが、その後のアジア大会で世界新記録を出すことが出来た。苦しい時期を乗り越えたことによって、二人の信頼関係は、より深く、確固たるものになったのです。
●多くの才能のある選手を間近でで見てきたこと。
それが私の指導者としての大きな財産になっている
島村 青木さんが(財)日本水泳連盟の中で重要な役割を担うようになってからすでに久しいですね。毎シーズン、いろいろなお仕事があって、非常にお忙しいと思いますが・・・・・。
青木 たくさんの方々に協力していただいてやっていますから、恵まれていると思います。強化の方法にしても、自分一人で考えたり、それを独断で実施したりはしません。多くの人たちの声を聞き、よく理解してから取りまとめる。昔から、そういうスタンスでいます。
島村 青木さんがそういうタイプの方だから・・・広い視野を持って活動できる方だからこそ、ヘッドコーチや競泳委員長などの要職を任されたのでしょう。
青木 コーチや選手が思い切って力を発揮できる状況をどうやってつくっていくか。そのためには、できるだけ多くの人たちに協力していただくことが必要なんです。
島村 今は名誉会長になられましたが、前会長の古橋廣之進さんとともに歩まれた年月も、長かったわけですよね。
青木 はい。短い時間では語り尽くせないくらい、本当に多くのことを学ばせていただきました。その中で特にすごいと思ったのは、選手を見る目です。例えば「この選手は今、無理をしてはいけない。休ませた方がいい」と言われる。で、実際そのとおりにしたら、しばらく休養を取ってきた選手が、以前よりもいい泳ぎをするようになる。そんなケースもあったのです。
島村 指摘がすごく的確なんですね。
青木 そうです。常に選手をよくご覧になっているから、できることなんだと思います。大会にしても、午前中の予選からずっと見られている。国内大会にしても、国際大会にしても。昨年の世界選手権でも、FINA(国際水泳連盟)の役員席で朝からレースをご覧になっていたのは古橋名誉会長と、林利博会長だけでした。それだけよく見られていると、どの選手がどういう過程で出てきたのか、今どのくらいの実力があるかなど、すべて分かるわけです。
島村 非常に高度な眼力といえます。私が知る限りでも、それぞれの世界のトップに立つ人は、眼力があります。ところで青木さんの学生時代のことを少しお伺いしたいのですが・・・・。大学は早稲田でしたね。
青木 はい。3年生まで選手で、4年生の時に練習マネージャーになりました。私を含めて同級生が5人いまして、私以外の4人がオリンピック選手だった(笑)。当時はコーチが土・日くらいしか来られませんでしたので、最上級生の誰かが練習を見なければならなかったのですが、見渡せば私しかいなかった(笑)。私自身、たいした選手ではなかったのですが、他にやれる人がいなかったですから。
島村 しかし、そのことが、東京SCでのコーチ経験から今日に至るまで、一つの流れとしてつながってきたのでしょう。
青木 そうですね、練習マネージャーの経験が、東京SCに入るきっかけとなりました。ちょうどその当時は、スイミングクラブができたてのころでした。
島村 東京五輪後から、スイミングクラブが出来てきましたよね。
青木 水泳を取り囲む環境が変わってきました。スイミングクラブができて、水泳を始める子供が増えました。米国のように、水泳を始める年齢が低くなったということです。
島村 さて、これまで長いキャリアを重ねてきた青木さんにとって、一番の財産とは何でしょうか。
青木 多くの才能のある選手を、間近で見てきたことです。それが私の指導者としての大きな財産になっているのは間違いありません。
島村 それは本当に重要なことですね。これからも、ますますのご活躍を期待しております。
青木 今年はやはりアテネ五輪に尽きます。ぜひ良い結果を残して、たくさんの人たちに喜んでいただきたいと思っています。
終わりに
 青木さんとのお付き合いは、東京SCのコーチ、ソウル、アジア大会、オリンピック監督など、そのキャリアと同じくらい長いものになるが、ご自身がこの道に進まれたいきさつをおうかがいするのは初めてだった。青木さんの考え方の基本は、バランス感覚をどうとるか、ということだ。いろいろな考え方を持った人たちをうまくまとめていく難しさが、"青木スマイル"の奥に見え隠れしていることも感じられた。「単純にメダルの数で判断してほしくない。いかに立派に戦うかだ」と私は思っているのだが、スポーツはやはり結果を問われるから、今年もまた青木さんにとっては大変な年になるだろう。まして北島選手は、出身母体なのだから・・・・
アテネ五輪へのリード役、青木さんの成功を祈りつつ、岸記念体育会館を後にした。


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