スイミングマガジン・「2004年12月号」掲載記事
Sportus Field Column −島村俊治の勝負を語る!−
◎再び「笑顔と涙をありがとう」

 アテネ五輪の快挙に続いて、パラリンピックでも水泳は大活躍のメダルラッシュだった。その中でも、成田真由美選手の7つの金メダルには、驚きを通り越して当たり前のような感覚になってしまった。
 もちろん、ご本人にとっては再起を期して大変な努力と練習を重ねてきたわけだから、簡単に手に入れた栄光ではないはずである。それにしても、一番多くの金メダルを持っているのは彼女ではなかろうか。アトランタで2つ、シドニーで6つ、アテネで7つ。後のメダルは私には数えられない。
 アテネから帰った成田選手に、久しぶりに電話を入れた。2001年5月の彼女の結婚式以来になる。実はシドニーパラリンピックの直後に、私は成田選手の車椅子の奮戦紀『笑顔と涙をありがとう』を出版した。
『視力が低くなれば眼鏡をかける。足が悪くなれば車椅子に乗る。それならとことん派手な車椅子に乗っちゃえ』と、どんなに苦しくとも、いつも周囲に《ひまわりのような笑顔》を振りまく車椅子スイマー、成田選手のパラリンピック物語だった 
 この本の最後は、次のように締めくくってある。
「明日に、そして次の目標に向かって、成田真由美はもう走り出している。軽快に車椅子をこぐように、激しく水しぶきを上げてゴールを目指すように・・・。このストーリーは、まだまだ波乱万丈の先があるようだ」
 成田選手は13歳のとき突然、脊髄炎を、患い、両足が不自由になった。車椅子のスイマーを目指すが、交通事故、心臓疾患、肩の痛み、子宮筋腫を繰り返しながら、パラリンピックにトライしていく。
 そして初めてのアトランタで、ドイツのカイ・エスティファン選手に巡り会う。ライバルとして、同じ境遇で生きようと戦うカイ選手との友好が始まる。アトランタでは、カイ選手に2勝4敗だった。次のシドニーに向けて、成田選手はそのライバルを目標に厳しい練習に歯を食いしばった。医師やコーチの制止も振り切った。「プールで死ねれば本望」と・・・・。
 シドニーでは世界新記録を連発してカイ選手を寄せ付けず、金メダルのコレクターになった。ライバルは病が進行しているようだった。
 アテネへ出発する前の記者会見で彼女は、2年前に亡くなったライバルを思い、こう語っていた。「金メダルは2つ取る。一つは私のため、もう一つはカイのために」。
 私が予測したように、この3年半の間も、彼女は波乱万丈を続けていたのだ。
「おめでとう。強かったねぇ。シドニーとは、どう違っていた?」「あの時とも、全く違っていましたぁ。面会謝絶のどん底まであり、4ヶ月も入院しました。投薬で25キロも太り、プクプクでした」
 アテネのパラリンピックを目指す決断の中、薬をやめ、食事治療と厳しいトレーニングで元の身体に戻したと成田選手は話す。頑張り屋の彼女のことだから、また失神寸前までやったのだろう。以前、取材した時の、福元コーチとギリギリの限界まで練習していた姿を思い出す。体温調整の出来ない彼女のために、福元コーチはバケツの水をバシャツ、バッシャッと勢い良くかけていた。残酷に見えたが、これがクールダウンだった。
 オリンピック選手以上の激しい、命と対面する練習だったと、当時を思い起こすのだが、今回も同じことをしたはずだ。まして、34歳になっても、4年前より進化したのだから・・・。
「強い心がないと、障害者は生きていけませんから」と漏らした彼女の一言を、また思い出した。
 パラリンピックは第二次世界大戦で、障害を負った兵士のために、英国の医師・グッドマン博士が「失ったものを数えるのはやめよう。残されたものを生かすことだ」と、病院内でのリハビリ、ゲーム感覚から始まり、国際大会になり、ローマ五輪から第一回大会としてスタートした。第二回の東京大会から、パラリンピックという造語が生まれたのである。
 参加する大会がエリート化、プロ化し、テレビ化してきたこと、そして障害者にとって治療薬は欠かせないのだが、薬物過の問題もクローズアップされてきた。また、大会拡大の規模とともに、もともとのボランティアの運営から莫大なマネー産業になりつつある。
 障害者の生きがいと競技者の向上心、そこに生まれる五輪傾向・・・。原点に立ち返る難しさが始まっているようだ。
 ともあれ、成田選手は12月の中旬、カイ選手の眠るドイツ・ライプチヒの墓前に、約束の金メダルを届ける旅に出発する。

(成田選手の金メダルの奮戦記『笑顔と涙をありがとう』は、もう書店にはありませんが、発行元のPHP研究所の在庫にはあります。彼女の生き方を詳しくお知りになりたい方はご一読下さい)



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