スイミングマガジン・「2006年12月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(12月号)
◎ 第16回 「● アジア大会への興味とは何か」
水泳の選手権ではないのだ

 第15回のアジア競技大会が12月1日から、カタールの首都・ドーハで開かれる。アジアの一員であるアラブ圏は、何故か日本には遠い存在に思われてならない。現に、アジア大会がアラブ圏で開かれるのは15回目にして始めてのことだ。アジア大会も毎回規模や仲間が増えている。今回は史上最多の45の国と地域が参加するものと見られている。競技種目も、毎回のことながら、オリンピックとは違う「へぇつ」と思う競技がある。今回はトライアスロンが加わった。これは「何で今までなかったのだろう」と納得するが、「チェス」も加わったと聞くと、「えっ、チェスってスポーツだったんだ」と、スポーツアナウンサーとしての知識のなさに愕然とする。でも、この位の感覚が普通かなと思ったりもするのだが。
 アジア大会はオリンピックと同じように「総合体育大会」であることを代表選手も関係者もスポーツファンもしっかり認識して欲しい。特に、若い選手をリードする指導者、選手団の役員は「アジア大会とは何ぞや」ということをしっかり選手たちに教えて欲しい。知らなかったら、今のうちに付け焼刃でも仕方が無いから、勉強することだ。スポーツの指導者の中には、競技を教えることは出来ても、一番大事なことを忘れている人がよくいるように感じられる。競技に勝つことは目的だが、参加するには、その大会の意義をしっかりと受け止めることが大切だろう。

難しい国々が多い

 かって、私は4回のアジア大会を現地から中継で伝えてきた。ニューデリー、ソウル、北京、広島の四大会だ。どの大会もアナウンスには、非常に気を使った。国の状態が戦乱や不況、スポーツを楽しめる状態にない国も参加している。宗教、風習などの極端な違いに、理解できないことも数多く経験した。まして、今回は北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の核実験の直後、拉致問題も解決しない状態の中での開催となる。毎回、政治や紛争の匂いを抱えたまま、行われている。そうした、アジア諸国の実情を指導者はしっかりと受け止め、若い選手たちに語らねばならないのだ。
特に開催国のカタールは宗教上の理由で、女性が自由にスポーツに関われない環境が続いてきた。が、最近は少しずつ開放に向かっていると聞く。今回、競泳と陸上に初めて女性の代表が登場する。イスラム教は女性の肌の露出を厳しく制限している。今までは、イスラム教の服装にそった競技しか、女性には許されていなかった。最近のスイミングスーツは男女ともに身体を覆うスーツが増えているから、この点でも良いのかもしれない。余談になるが、肌の露出はほどほどにして欲しいと私は思っている。プロのゴルフやテニスでは、女性の魅力を出さんがために、臍だしルックのシャツやまるでネグリジェのようなユニフォームで人気を集める選手がいる。性犯罪の影響はこんなところにもあるのではないかと勘ぐるのは間違っているだろうか。

アジア大会に感謝する心

 日本にとって、アジア大会は大切にしなければならない大会だと言うことを、アスリートの皆さんは、ぜひ知っておいてください。それは、日本、中国、韓国が競技の面でアジアをリードして、その先のオリンピックにつなげて行く重要な大会であるという位置付けはあるでしょう。
 しかし、私がいいたいのは、日本の戦後のスポーツの発展はアジア大会にインドのネール首相の力添えで日本が国際社会へ復帰させて貰ったという経緯を大切にして欲しいのです。第1回のアジア大会は1951年3月・インドのニューデリーでスタートしました。第二次世界大戦後、初のオリンピックは1948年にロンドンで開かれましたが、アジアからはインド、セイロン、フィリピン、ビルマ、中国、韓国の六カ国しか招待されませんでした。日本は戦争責任を問われ国際舞台への道は閉ざされていたのです。しかし、インドのネール首相はアジア各国の反対の中、各国を説得し、まずアジア大会参加の道を開いてくれたのです。日本のスポーツ界にとって、戦後初の国際大会は第1回アジア大会、そして、その年の5月の国際オリンピック委員会で日本のオリンピック参加が承認されました。「インドの勇気と友情」が、日本のオリンピック参加のきっかけとなったことを、アジア大会のたびに思い出して欲しいと願っています。

前回は世界新記録が出た

 アジア大会で世界新記録が出るのは夢のような出来事です。私が放送していたころは、競泳で中国の女子が世界のトップにいた時代ですからチャンスはありました。しかし、94年の広島アジア大会を境に、多数のドーピングが摘発されました。この時、女子200個人メドレーで中国の呂彬が世界新記録を出しましたが、ドーピングで記録は抹消されています。
 前回・02年の釜山大会は日本の水泳界のみならず、アジアの水泳界にとっても画期的な記録・世界新記録が誕生しました。そう、北島康介選手の200平泳ぎの二分九秒九七です。この時、北島選手は腕の故障をした後だっただけに、本人も驚きの「ウォーぉぉー」という絶叫で言葉になりませんでした。日本新7つが、前回、誕生しています。
 競技ですから結果も大事ですが、アジア大会の意義、複雑なアジア諸国の情勢もしっかり頭の中に叩き込んで、総合体育大会に参加して欲しいと願っています。



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