スイミングマガジン・「2007年07月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(7月号)
◎ 第24回 「限りある挑戦」

 背泳ぎの中村真衣選手の引退のニュースを感慨深く聞いた。23年間、立派な戦いに敬意を表したい。デビューした新潟・宮内中学生の頃の日本選手権での優勝から大学生時代まで、私は放送席から見つめてきた。「島村さんが喋ると金メダルになる」といわれるが、そんなことはない。むしろ、金メダル以上に、長崎宏子、糸井統、中村真衣の4位は心に強く残っている。真衣ちゃんのアトランタ五輪は4位に終わったが、そのあとのシドニーで銀メダルを手にした。私の世界での水泳放送はパースの世界選手権までだったから、メダルの実況はしたのだが、やはりアトランタの4位は心残りだっただけに、シドニー五輪で銀メダルを獲得した瞬間は、正直、ホッとした。オリンピックでメダルのチャンスがある選手が負けると、アナウンサーは「俺が喋ったからかな」などと思ってしまうのだ。
 現に、プロ野球の放送を担当していて、ホームティームの連敗が続くと、監督や選手に、なんとなく顔を合わせにくくなる。勝負に身をおく監督、選手は、どうしても勝てなくなると縁起の一つもかつぎたくなるものなのだ。「また、あのアナウンサーがしゃべるのか。いいかげんにしてくれ」などと思われることもあるらしい。解説者などは、負けだすと、特に気を使ったりするようだ。
 中村真衣選手の引退は、右肩の痛みに苦しみ、不安が拭えず、目標が持てなくなったからだと、記者会見で報じられていた。十分過ぎる位、真衣ちゃんは戦い続けたと思う。水泳界ではベテランでも、実社会での27歳はまたまだ若い。これからの人生の方が長いのだ。最近の女性スポーツ選手の傾向は、テレビやマスコミに出たがるようだ。くれぐれも、タレント化して欲しくない。水泳にかかわり、マスコミの仕事をするようなことがあるならば、どうか、選手時代のことを思い起こし、軽々しい発言をするような、名前は言いませんが、世界選手権のゲスト解説者のようになって欲しくないと、私は願っているのです。
 競技を続けるかどうかというシビアーな問題に選手は必ず直面するのです。一つは怪我、一つは目的をもてるかどうかでしょう。私が放送しているプロ野球選手の中にも、年齢、体力、目的意識と戦いながらプレーを続けている選手が何人もいます。勿論、プロとアマ、用具を使い、ティームゲームの野球と自分の身体だけで戦う水泳では、大きな違いがあることは確かです。ただ、「納得が行くまでやり遂げたい」という心のあり方は同じでしょう。
先月、日本ハムの田中幸雄選手が二千本安打を、遂に達成しました。22年間、かかりました。その間、大型ショートで打点王を獲った若い頃から、怪我にくるしみ、次々とポジションを追われながらも、常に自然体で、控えめで、「男は黙って勝負」を地で行った生き方に、拍手を贈ったプロ野球ファンが数多くいたのです。田中幸雄は今年で40歳になります。でも、40を過ぎた「おじさん投手」がまだいます。横浜の工藤は44才、オリックスの吉井は42歳、ロッテの小宮山と中日の山本昌、楽天の吉田豊彦は41歳、オリックスの吉田修司は40歳で、まだ投げ続けています。それぞれ、怪我と戦いったり、首になったり、一度、辞めたりしても、プレーすることに拘っているのです。きっと、まだやりたいことがあるのでしょう。見果てぬ夢を追いたいのでしょう
 シンクロの井村雅代さんが中国のコーチになった気持ち、私には、よおくわかります。またまだ、教えたいこと、やり遂げたいことがあるのです。私も、まもなく66歳になります。スポーツ実況のアナウンサーとして44年になります。それでも、まだ、「アナウンサーに成りきりたい」のです。今、パリから全仏オープンのテニスをお伝えしています。でも、限りがあることも確かですし、マイク行くを置く日は必ずくるはずです。
 私が伝えた水泳選手で、まだ泳いでいるのは山本貴司選手だけになりました。健闘を祈っています。



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