スイミングマガジン・「2008年10月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(10月号)
◎ 第39回 オリンピックは四年間の思い

 日本の水泳の歴史で最高のパフォーマンスを北島康介が見せてくれた北京オリンピック、二百平泳ぎで狙っていた世界新記録に届かず、あのなんとも言えない表情をテレビ画面を通じてみたとき、北島は最高の王者であることを確認させられた。このシーンを私は長野県の茅野駅の改札口のテレビで数十人の人々と一緒に拍手をしながら見ていた。よほどのアクシデントがない限り北島の連続二冠は堅いので、テレビは夜のハイライトでもいいと長野の避暑地に向かっていたのだ。運よく改札口のテレビの前を通ったら二百平の決勝で北島がプールに入ってくるところだった。テレビを囲んでみている人々の反応が面白かった。皆さん「金メダルは当たり前」という感じで落ち着いてみている。「強いねぇ」「問題ないわねぇ」「世界記録はでるの」こんなに安心して、興奮もせずに日本人の金メダルのシーンをみたのは、初めての経験だった。
 アテネからの長い四年間、決して順風満帆で過ごしたわけではない北島のオリンピックへの思いの強さが、己に勝ち、ライバルを寄せ付けなかったのだろう。オリンピックは四年間をかけて戦うものなのだ。中村の連続メダル、松田の「お母さん・コーチ」との二人三脚の歴史も素晴らしかった。そして、快挙は男子の四百メートルメドレーリレーの銅メダルだ。リレーはその国の競泳の実力である。ましてメドレーリレーは四つ種目の代表が繋ぐわけだから、価値がある。ただ少しもの足りなかったのは若手の台頭がいまいちだったといえるだろう。次のエース候補がベストのパフォーマンスを出せなかったのがマイナス要素だったのかも知れない。
 オリンピックは「ニッポンがんばれ」だけではない数々のドラマが散りばめられている.。スピッツを超えたフェルプスの八冠のスーパーマンぶり、陸上のスプリンター・ジャマイカのボルトの世界新の三冠、オリンピックには必ずと言っていいほどの超人が現れるのだ。しかし、心を強く打たれるのは、必ずしもスーパースターの活躍だけではない。むしろ、いかに苦難を克服して立派に闘う選手に出会えるかなのだ。今回の五輪から水泳競技にオープンウオーターが正式種目に採用された。昔の遠泳といわれるもので、私もかってパースの世界選手権などで取材をしたことがある。川や海を十キロ泳ぐので生中継は難しい。まして泳ぐ顔が見えないからテレビ中継には不向きな種目である。
今回は生中継ではなくビデオに編集したハイライトで放送されたのだが、一人の女性スイマーの生きざまに強く心を打たれた。その選手は南アフリカのナタリー・デュトワという左足を失った義足のスイマーの奮戦のレースだった。彼女は子供の頃、国内で期待されたスイマーだったが、バイクに乗っていて車とぶつかり左足を失った。絶望の中から彼女は泳ぐことにトライし、アテネのパラリンピックに出場し五つの金メダルを獲得したが、満足はできなかった。オープンウオーターが採用されると、世界選手権で上位に入り、五輪の出場権をえた。片足が義足の彼女の泳ぎは上体を使って迫力があったが、バランスをとるのが大変だったようだ。それでも彼女は十キロを泳ぎきった。二十 五人中十六位。「凄い、凄い」と言いながら私はテレビをみていたのだが、彼女は泳ぎ切っただけでは満足していなかったようで、悔しさを出してインタビューに答えていた。一人のスイマーとして、まだまだ泳ぎ続けて行くのだろう。
 ソフトボール女子の金メダルは日本中の人々に感動と興奮を与えてくれた。上野投手の鉄腕とティームの団結、ぎりぎりのピンチに耐え続けた精神力、まさに四年間かけて築き上げた完成された「ティーム力」だ。ボールゲームで一つの完成されたティームを作るには時間がかかるのだ。対称的だったのがプロ野球、金メダルはおろか、銅メダルにも届かなかった。無理もない。キューバは四年かけてティームを作っている。韓国は二年前から五輪の使用球にかえ、日本に勝つことを最大の目標にしてきた。わずか三日の練習と二日の強化試合で「強く、負けないティーム」を完成させるのは、所詮無理なことなのだ。トッププロが集まればすぐにいいティームが出来るわけではないことを、野球関係者は思い知らされたはずだ。監督や選手を責めることを、絶対にしてはならない。負けた理由はティームづくりが遅すぎたのだ。
 喜び、悲しみ、感動、興奮、絶望、オリンピックにはさまざまなドラマがある。そして、その心は四年間の五輪への強い思いだろう。



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