スイミングマガジン・「2009年02月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(02月号)
◎ 東京オリンピック誘致に向けて

 昭和三十九年十月十日、「世界中の青空をすべて集めたような今日の東京の空」と開会式のテレビ中継で北出アナウンサーが語りかけたあの日、東京五輪はスタートした。アナウンサーに成る気もなかった私は、赴任先の鳥取市の下宿の白黒テレビで開会式を見ていたのです。新人アナウンサーでしたが、アナウンサーは嫌々やらされていたので、たいした職業意識もなく漠然と見ていた。のちに、ロサンゼルスやソウル五輪の開会式の放送席に自分が座るなどとは思いもよらぬことだった。鳥取にいた私は東京五輪を生でみることはありませんでした。マラソンでエチオピアのアべべの哲学者のような走りと競技場でヒートリーと円谷幸吉が激しいデッドヒートを展開したこと、日本の水泳はなんでメダルが取れないんだろうと白黒のテレビを見ながら、自分とかけ離れた世界の出来事としてしか五輪を捕えてはいなかったのです。
 その東京五輪から今年は四十五年、東京は二度目の五輪を2016年に開催すべく招致活動を行っている。昨年六月四日のIOC総会で立候補都市は東京、マドリード、シカゴ、リオデジャネイロの四つの都市に絞られた。今年は立候補の内容の提出、IOCの現地視察、市民の支持率などを比較、検討した上で今年の十月二日のIOC総会で108人の委員の投票で決まる。四つのうちの一つの都市が過半数を獲得するまで投票を繰り返す「最も嫌われなかった都市が勝つ」という選挙で決定するのである。東京は昨年六月四日の七つの都市による選挙で上位四都市のうちのトップで通過した。ただし、二位マドリッドとは僅差である。世界のビッグイベントを開くには安全性が第一に考えられるが、その点でいえば、東京に勝る都市は他にはないだろう。問題は二度目だということだ。五輪を開くメリットはいうまでもなく経済効果である。あの昭和三十九年の東京五輪も新幹線が走り、人・金・物が大量に動き、経済発展に大きく効果を上げたことと、世界中の国々に東京だけでなく日本の復興と発展をアピールしたことだろう。そして、「テレビオリンピック」のスタートは東京からだといつてもいいだろう。ただ、いまや怪物と化したテレビは五輪を食い物にし、五輪を支配し始めたことも見逃してはならない。その副産物として、五輪のメダリストたちがタレント化してテレビに踊らされているのを苦々しく思っているのは私だけなのだろうか。
 いずれにしても、五輪を開催することは経済効果のみならず、世界の注目が東京に、日本に集まり、子供達にも生でスポーツの凄さや素晴らしさを感じてもらえる最高のイベントとなるのでしょう。今、大会誘致に立候補した都市の中で東京はほとんどの項目、例えば、競技会場、選手村、環境、宿泊、輸送、安全性、過去の実績、財政、などでトップか二番目の評価を得ています。しかし、今、招致委員会がPRに躍起になっているのは世論調査の結果だけが低いという点です。東京開催を市民が、国民が熱望しているという意識が高くないことなのです。今、何故東京なのかというテーマに衝撃性がないと私は思っています。「お金をかけないコンパクトなオリンピックをめざします」「緑のオリンピックです」では不十分です。もっとオリンピック精神にかかわることをアピールすべきでしょう。勿論、このことはIOCの根幹にかかわることです。でも組織委員会が「東京こそ真のオリンピック精神に立ち返って正しいオリンピックを開く」というテーマが必要ではないでしょうか。今の五輪に私は批判的です。留まる事のないドーピング、プロしか出られないテニスのような競技団体、五輪をテレビが支配し競技時間まで変えてしまう金権テレビ、スポーツをバラエティにして感動の押し売りをするテレビ、そうした様々なオリンピックの陰を払拭するような東京オリンピックであってほしいと私は願っています。
 2016年に運良く、東京オリンピックが開かれ、私が生きていたとすると、七十四歳になっているはずです。まだスポーツアナウンサーとしてマイクを握っているでしょうか。少なくとも、フリーになっている私は五輪を語ることは、もうありません。私は八回も五輪の舞台を伝えてきたので、もう十分です。ただ、もしその時がきたら、昭和三十九年の東京で果たせなかった「生で東京オリンピック」見たいのです。プールの観客席の片隅で、マラソンの沿道で、そして何よりも「本当の素晴らしいオリンピックを」日本の子供達に体験してほしいのです。



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