スイミングマガジン・「2009年08月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(08月号)
◎ 現役へのこだわり

 「ハギトモ」の愛称で親しまれている萩原智子さんが五年ぶり現役に復帰し地元山梨県の実業団の大会に出場した。元五輪代表で今でも本職では無かった百メートル自由形の日本記録保持者の復帰とあって、テレビニュースでも久しぶりの泳ぎをとりあげていた。詳細は本誌でも紹介すると思うのでそちらに譲ることにするが、興味深かったので電話をした。昨年から本格的に練習を再開したということで、水泳教室で子供達の指導をしながら、山梨学院大学の選手と一緒に練習をしてきたそうだ。結婚して二十九歳になって、コメンテーターも務めたあとの復帰になる。取材をされる側からする側になり、またされる側に戻る。

 四十五年もスポーツアナウンサーをやってきた私は、取材する側とされる側の鉄則を自分に課してきた。選手、ティームと放送者の私との間には川があり、川を渡って対岸に行って取材をするが、また放送席に戻ってきて、選手全員を同じ目線で見る。勿論、期待の選手、注目の選手に活躍してほしいが、スタート台に上がった八人の選手は誰にも頑張ってほしいという願いから、誰にも丁寧なコメントをつけ、平等に見つめたかった。端のコースを泳ぐ選手は勝てっこないからおざなりにするコメントだけは許せない。端のコースを泳ぐ選手ほど、決勝レースへの喜びと不安、恐れを持っているはずだと推察している。
 
「何でまた現役に戻ったの?」という問いに萩原選手は言葉を濁した。「一言では言い尽くせないので」レースのあとのテレビでの会見では「三十歳を前に、もう一度自分に挑戦したい。やるからには日本代表を目指します」おそらく、これは公式発言だろう。取材する側に回った経験から、取材者が欲しいコメントを萩原さんはくみ取ったはずだ。

 スポーツ選手の現役復帰はさほど珍しいことではない。かつて米ノエンゼル・マイヤーズはソウル五輪の代表になったがドーピング検査で陽性反応が出て、代表を取り消された。マイヤーズはソウル五輪の代表になったがドーピング検査で陽性反応が出て、代表を取り消された。彼女は「私は潔白です。ステロイドは使っていません。避妊用のピルが作用したのです」両親も偉かった。「ドーピングを証明するためにもう一度泳ぎなさい」マイヤーズは、次のバルセロナまでの間にコーチのマルチナ氏と結婚、五輪では見事にリレーで金メダルを獲得した。それだけではない。その次のアトランタでは二つの金と三つの銅を獲得、大会期間中にプールサイドでがんを患いながらボランティアをやり続けた女子学生に百自由形の銅メダルをプレゼントした。「私は彼女に勇気をもらった。水泳で周りが見えなくなったとき、人生で一番大切なものを教えてもらったから。生きるということです。金メダルでなくてごめんなさい」 昨年の北京五輪では米のダラ・トーレスは四十一歳で五度目の五輪に出場、引退、結婚、出産、、引退、離婚、復帰と波乱万丈、長いブランクのあとの再挑戦だった。何しろ私がロサンゼルス五輪の実況をした時、トーレスは十七歳の高校生、ソウル、バルセロナも実況した。アトランタは引退してさすがに彼女の泳ぎを見ることはできなかったのだが、逆に彼女は私がNHKを卒業して五輪放送ができなくなつたシドニー、そして北京にも登場した。北京の五十自由形は優勝したシュテヘンに0秒01遅れの銀メダルだったから、四十一歳の信じられない「パワーウーマン」といえるだろう。

 テニスでもクルム伊達公子が十三年ぶりにウインブルドンに復帰、二十歳年下の世界ランク九位のウォズニアックに大健闘、太もものけいれんで後半逆転されたが、第一セットを奪う素晴らしい挑戦だった。テニス界では、かって頂点に上り詰めたナブラチロワやヒンギスが復帰してプレーした例があるから、これも珍しいことではない。女性は結婚すると生活環境が変わるのでプレーをやり続けるのは難しくなるなど、男性のプレーヤーとはまた違う条件もあるのだろう。ただ、いえることは「女は強いなあ」という一般的男性の感想になりそうだ。

 ここまで書いてきて、「ハギトモ」の復帰の中に「こんな気持ちもなかったのかな」といらん推測をしてしまつた。「スピードの出る水着で、泳いでみたい」マスコミ側の目線だと、「あの高速水着、鈴木大地や田口信教、長崎宏子ら日本の歴代トップクラス」が着て泳いだらどうなるのだろうと、ついつい想像してしまうのだが。「ハギトモ」さん、あくまで私の邪推ですから。



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