スイミングマガジン・「2010年 1月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(1月号)
◎ オリンピックを厳しく監視せよ

 「日本だから出来る新しいオリンピック」という旗が東京の街のそこここにはためいていた。秋風に揺れる五輪のマークとそのキャッチフレーズに目を止めた人、きずかなかった人、皆さんはどうでしたか。そして、そのキャッチフレーズを「これはおかしい」と思った人はどのくらいいたのでしょうか。作家として著名な石原都知事ともあろう方が「正しい用語」を使わないことに、私はこの東京誘致に懸念を抱いていました。「東京」を「日本」とすり替えなければならないほど、「東京五輪」は決め手に欠いていたといわざるを得ません。オリンピックは都市が開催するもので、国ではありません。勿論、国の力が大きいことはいうまでもないのですが、誘致合戦のキャッチフレーズを曖昧なものにするのは、子供達にもオリンピックは国が開くものという誤解を招くことにもなるでしょう。「未来を築く子供達にオリンピックの素晴らしさを生で見てもらいたい」と考えるなら、オリンピック精神や憲章を歪めてはならないでしょう。尤も、今のオリンピックはビジネスであり、プロ依存であり、テレビに魂を売り渡している状態ですから、「正しい用語」などと言っても、時代遅れの遠吠えにすぎないのかも知れません。

 東京が落選したことは残念ではありますが、その後の世の中の反応をみていると「やっぱりなあ」「落ちると思ったよ」などという感想が多かったように感じます。世論というのは、為政者が考えている以上に賢明です。「オリンピックは誰のためのものか」というと、第一は競技者のためのものです。オリンピックを政治や経済など、あまりにも「利用しすぎている」といえないでしょうか。環境問題をテーマにするのはいいのですが、東京の落選は、「何故、東京なのか」という理念が明確でなかったということが第一でしょう。

 南米のリオデジャネイロに決まって「本当に」よかったと喜んでいます。治安の不備や経済上の問題は開催まで、いろいろと取りざたされることでしょうが、何といっても南米で初めて開催されることが決め手になりました。オリンピックの五輪のマークは「五つの大陸を輪」で繋いでいます。大国や経済力のある都市に集中しない方がいいのです。日本にとってもブラジルに数多くの方々が移民した歴史を考えれば、祝福を、拍手を贈ろうではありませんか。

 五大陸の中で残っているのはアフリカ大陸です。経済、気候、スポーツ環境などを考えれば難題は数多くあるでしょう。それこそ、アフリカで五輪を開くために各国が協力する体制がとれないものでしょうか。勿論、今のアフリカはオリンピックどころではないでしょう。ユニセフの活動を見てみれば、オリンピックより先にやらねばならないことがありますから、「アフリカでオリンピック」は夢のまた夢なのかも知れません。

 「東京落選」から数日して、「広島と長崎」がオリンピック開催について検討したいというニュースが流れた。また゛、東京落選の分析や経費の収支決算も出来ていない状態の中、いささか拙速の感は否めない。ただ広島、長崎が立候補するとなれば、「平和都市」をアピールでき、五輪と平和というテーマにぴったりだといえる。まして、広島はアジア大会を開いて成功している。アジアでオリンピックを開くなら、ソウル、北京がそうだったようにアジア大会の開催は下敷きになっていることは確かである。ただ、「広島と長崎」という二都市の共同はオリンピック憲章には合わない。それこそ憲章を変えなくてはならないだろう。このコラムの最初に書いた「オリンピックは一つの都市が開催する」ものだからである。もし広島が単独で立候補すれば、「平和を五輪で訴える」という強力なメッセージがあるので、どんな都市が立候補したとしても、強いインパクトをIOC委員に与えるに違いないだろう。ただ、手放しでは喜べない。それは、今の五輪があまりにも商業主義、、ビジネス五輪に向かっているからだ。広島がもし立候補するのであれば、そうした五輪の流れに「平和」の名のもとに利用されたり、食い物にされないように、要、心がけることであろう。オリンピックは平和の祭典である。そして、何よりも、第一は競技者のためのものなのだから。

 亡くなられた古橋広之進名誉会長がよく言われていた言葉を思い出す。「スポーツは、国を変える力がある。」



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