スイミングマガジン・「2011年01月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(01月号)
◎ 広州・アジア大会を見て

 国際大会の中では地味な印象のあったアジア大会の開会式を見ていて、「これがスポーツの大会なのか」と思わず叫んでしまったほどだ。テレビを意識した「テレビのための開会式」。水を意識した水がテーマの開会式は、今まで見たこともない斬新なものだった。クリスマスが一足早くやってきたのかと見まごう程の電飾の船に乗って選手団が登場する。周囲のビルや高層マンションもライトアップ、光と音の演出はスポーツの大会を迎えるというより、年末の芸能大会のように思えたのだが、皆さんはどんな感想だっただろう。アナウンサーというのは因果な仕事で、「もし、自分が開会式の放送席でマイクの前にいたら、どんなしゃべりをしたらいいのかなぁ」などと実況中継を見ながら同情したものだ。開会式はその大会のテーマ、アジアのスポーツの今、大会の歴史、政治経済も含めて真正面から語っていくもの、特にアジア大会はかつて日本を国際大会にいち早く復帰させてもらえた「恩義」のある大会だ。華やかすぎる開会式をどう語るのか、「私だったらどうしたらいいのか」と自問自答していた。何しろアジア大会の開会式の実況を私が担当したのは、今から28年も前の1982年のインド・ニューデリーの大会、インドではテレビ放送が始まったばかり、マスゲームと伝統的な入場行進、今思えば「よき時代」だったといえるだろう。

 ある程度、予想されていたことだが、水泳競技の中国の躍進に日本は大差をつけられてしまった。まして、来年、上海で世界選手権が開かれるわけだから、中国はますます選手の強化に力を入れていくことだろう。前回のアジア大会での日本と中国の金メダル数は16−16のイーブン、自国開催の中国だから、この均衡は崩れ、中国が伸びることは覚悟していたが、9−24の差はあまりにも大きい。問題は、オリンピックまであと二年で、金メダルの一つもなかった女子の強化はどうやっていくのだろう。すでにアテネ五輪のあとからそれまで好成績を残してきた女子が下り坂にさしかかってきたことは、水泳関係者なら、誰でも気がついていたはずだ。競泳だけでなく、もっと深刻なのはシンクロだ。採点競技は印象や格がものをいう。外から見ているので的外れがあるかもしれないが。日本代表の所属が井村シンクロで、井村雅代さんが中国のコーチをしているという腸ねん転はどうゆうことなのだろう。かつての教え子の本間委員長の下に井村コーチがいても不思議でもなんでもない。コーチはプロである。プロとは何か。「結果が全て」である。年齢も経験も関係ない。よく若い人を育てるために「世代交代を」ということがいわれる。若い人を使うのはその人に力がついて、結果が出せるからだ。巨人の原監督は「若い人を育てるのが目的ではありません。プロは弱者救済ではないのです。力がついたから起用するのです」私は井村さんより9歳年上でまだ現役に拘っているのは、「やりたいことがあるから」だ。井村さんも「コーチになり切りたい」と思うから、ライバルの中国に行ってまでコーチをやり通したいのだろう。日本のコーチの力が井村さんより結果が出せるなら、世代交代をしてもいいだろう。でも「井村のおばはん」は意欲も健康も哲学も健在と見る。何しろ私の放送のお師匠さんだから、私にはわかるのだ。シンクロの危機を救うには「大局」にたつことではなかろうか。

 男子の競泳は経験者でもっている。体調の悪い北島が捨石になってまでリレーの予選を泳いだことに敬意を表さずにはいられない。これからの道のりは大変だが、闘う姿を若い選手が感じとってくれれば、ロンドンに挑む金メダリストの姿は尊いものになるだろう。入江、松田、立石ら経験者が頑張ったが、自由形の韓国の朴泰桓の三冠もあるので上出来などとはいっていられない。女子はあの「恭子ちゃん」のような「奇跡」が起きない限りは不安だらけだ。このところのオリンピックで「喜び」の続いた水泳界も「ピンチ」だ。ピンチをチャンスに変えるキイはどこかにあるはずだ。中国の躍進とその方策を取材してきただろうし、韓国の巨大なトレーニングセンターの建設など、いいものは参考にしつつ、強化を図らねばならないだろう。オリンピックまでの時間は少ない。



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