スイミングマガジン・「2012年11月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(11月号)
◎ サプライズーオリンピックも霞むほどー

●驚き、桃の木、さんしょの木
 昔の方が吃驚した時に言っていました。私のおじいちゃん、おばあちゃんの頃です。「驚き、桃の木、さんしょの木」
 オリンピック直後の世界新記録、しかも国民体育大会で、屋外のプールで、高校三年生で、ずっと鹿児島の志布志育ちで、オリンピックの選考会で次点だったのに、ロンドンオリンピックの金メダルのタイムを上回り、北島康介を超えて、
 驚くことだらけの山口観弘選手の二分七秒01の世界新記録です。

 尤も、世界新記録はともかく、世界ジュニア、インターハイ、ジュニア五輪などの成績を見ていると、大記録への軌跡はあったようにも思われます。何よりも「6秒台を狙っていたのに悔しい」と答える「凄さ」はオリンピックのメダリストなど眼中にないほどで、頼もしいことこの上もないと言えるでしょう。今まで新聞に名前と記録が載っても、「観弘」を「あきひろ」と読める人は少なかったはずですが、これで読んで貰えるようになるでしょうね。

 国体で世界新記録が出ると誰が考えたことがあるでしょうか。日本記録さえ出たかどうか私にも判りません。以前、国体の存在意義はこれからどうあるべきかという文を書いたことがあるのですが、この快挙で国体も認識を新たにされることでしょう。

 この山口選手の大記録だけでなく、日本水泳連盟がオリンピック後の国内大会に気が抜けることなくリードしたことに敬意を表したいと思っています。私の経験ではオリンピックイヤーの後の国内大会はオリンピック選手も顔見世程度で「もう終わった」という感じでした。ところが、今年はインターハイ、ジュニアオリンピック、日本学生選手権、国民体育大会にオリンピック参加組やトップレベルの選手達が素晴らしいパフォーマンスを見せてくれ、オリンピックのあとは一休みというイメージを払いのけてくれました。その頂点の記録が山口選手の世界記録だったといえるでしょう。他の競技のメダリストの中にはテレビのバラぇティなどでいつまでも手柄話や美談と称する裏話が多く、テレビ批判家の私は「いつまでやってんじゃねぇ」とほざいていましたが、水泳のオリンピック後には「よしよし」と頷いていました。オリンピック後のお休みは「ほんの一息」世界は動いているわけですから、休まず続けるのがいいに決まっています。

 山口選手の経歴を知り驚いた方は多いでしょうね。実は私も詳しくは知りませんでした。鹿児島県の志布志に行ったことのある方はどの位いるでしょうか。鹿児島からも遠く、4年間いた私でさえ数回、しかも農業関係の取材でスポーツ中継や番組ではなかったはずです。砂浜と松の緑の砂防林が美しい志布志、山口選手が市営の25Mプールで泳ぎ続け、幼稚園から高校までずっと志布志育ちという生い立ちを知り、「南の端から世界を目指す」ロマンに、何やらストーリーを感じて嬉しくなっています。

 私は1969年〜1973年まで鹿児島で暮らしました。NHKのアナウンサーとして若かった頃です。しかも、初任地の鳥取から「1972年の鹿児島国体の放送のために鹿児島勤務を命ず」という転勤でした。当時は国民体育大会の放送は、それなりに価値があるものだったのでしょう。ミュンヘンオリンピック直後の鹿児島・太陽国体は競技としては盛り上がらず、桜島の噴火の方が活発、ミュンヘンの金メダリスト青木まゆみさんがフリーリレーに登場、何とバタフライで泳いでフリーの選手より速く「さすが、金メダリスト」と驚いたことだけ覚えています。

 山口選手が「ロンドンに行っていたらなあ」と、ついつい想像してしまうのですが、「たら、れば」はスポーツの世界では禁物ですから、止めることにします。ただ、これからは、宿命の「世界記録保持者」として見られる中、プレッシャーのかかる大舞台で実力を出し切れるのかがテーマになるでしょう。大学に進むと、指導を受けてきた平井コーチのもとでトレーニングをすると報道されています。「北島から山口へ」と平井コーチの手腕にまた注目が集まりますが、新聞報道の中に見つけた山口選手の言葉「言われたことだけをするのではない」という自立心に「田口信教、鈴木大地、北島康介」の金メダリストとの共通点を、私は感じたのですが、

 これからの4年は長いか、短いか、山口選手の精進にかかっていますね。



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