Column No.79 (2004/05/19デイリースポーツ掲載分)
◎五輪予選に思う


 近代五輪の創始者といわれるクーベルタン男爵の残した有名な言葉は「オリンピックは参加することに意義がある」だった。今では「メダルをとることに意義がある」といった風潮にある。先週の女子バレーを見ていて「参加する道程の険しさとその喜び、そして全ての競技がそうではない」ということに気がついた。
 女子バレーのアテネ五輪予選で日本は二大会ぶりの五輪出場を決めた。会場の盛り上がり、TVを見ながらのファンの一喜一憂、久しぶりにバレーの面白さを満喫したファンも多かったことだろう。
 スポーツは戦う選手の生き方に共感が得られると、見ている人々に感動を呼ぶものだ。代表権はベンチ入りした全選手の総力によるものだが、中でもティームをリードした34歳の吉原知子のキャプテンシーの素晴らしさに心を激しく叩かれたファンも多いはずだ。二回の五輪出場実績、ティームを解雇され、イタリアに渡ってのプロ活動、苦労を重ねて日本への復帰、バレーへの強い志と五輪への夢を持ち続けたことが、今回の快挙へと繋がったのだろう。
 ところで、感動的な予選突破を戦った選手は、全員がアテネに行けるわけではない。彼女たちは全日本の代表候補であり、14人のうち二人が落選する運命にあるのだ。
 かたや、テニスの五輪代表の決定は違う方式である。女子テニスの日本NO1杉山愛の場合、予選を戦うわけではない。世界のテニスツアーで戦っている選手は皆プロである。スケジュールが厳しく、難色を示していた杉山が三月末に「アテネに出る」ことを表明した。テニスの代表は6月14日現在の世界ランキング48位以内の選手には出場権が与えられるのだ。このところ10位前後と世界のトップにいる杉山はまず間違いなくこの条件を満たすことが出来る。
 米のNBAの大物ルーキー・新人王をとったレブロン・ジェームズも米大陸予選に出なかったが12人の代表に決まった。五輪にプロ選手が出場するのは当たり前の時代になったから、予選を勝ち抜かなくても異議を唱えるすじではない。ただ、女子バレーのけなげな戦いを見るにつけ「現代の参加する意義とは何なのか」を改めて考えさせられた次第である。
 あすから、杉山の出場する全仏オープンテニスの中継に向かう。



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