Column No.82 (2004/06/09デイリースポーツ掲載分)
◎陸上も楽しみ

 アテネ五輪の選考会を兼ねた陸上の日本選手権をTV観戦、世界で戦えるレべルに近づきつつあると歳月の流れを感じた。私が五輪アナウンサーとして陸上を担当したのは76年のモントリオールからだ。以来、陸上競技に関していえばマラソンを除けば、メダルはおろか、決勝で日本人選手の活躍を伝えるとは夢にも思わなかった。しかるに、今度の日本選手権を見ていて日本もようやく陸上でファイナルを見る楽しさが生まれてきたといえるだろう。
 メダル可能のハンマー投げ、室伏を筆頭に、短距離の末続、棒高跳びの沢野ら「戦う選手団」になってきた。この選考会を見ていて、特に心に残ったことがある。
 男子3000M障害で日本記録を持つ岩永嘉孝の走りだ。A標準の8−24−60を楽に上回る8−30−51の優勝で代表を内定した。3000M障害は日本ではあまり脚光を浴びることのない地味な種目である。私はこの種目が好きだ。3000を走り抜くスタミナとハードリングの技、水壕を豪快に飛ぶ勇気、いろいろな要素がつまっている。この種目に日本は長いこと五輪代表を送っていない。76年のモントリオール、当時8−21−6という素晴らしい記録を持っていた小山隆治以来になるはずだ。黒ぶちの眼鏡、重厚な走りだった小山をしても世界では難しかった。岩永の日本記録はそれより3秒位しか進んでいない。この長い空白をどう埋めてくれるのか、陸上好きの私には興味があるのだ。
 もう一人、ギリギリで100Mの標準に達した土江寛裕の喜びの涙だ。末続、朝原に続く3番目だったが、ちょうど標準記録に届いた。選ばれて欲しいと思う。彼の父、良吉さんは島根の出雲商業時代に200Mで日本一になった。当時、山陰地方の若いアナウンサーだった私は良吉さんの実況を何度もした。寛裕選手は前回、リレーで五輪に出てはいるが、今度こそ父を越えた息子の単独レースを見たいものだ。
 選考会が鳥取で開かれたのはラッキーだった。関東や近畿で開いていれば梅雨入りして悪コンディション、記録は出にくかっただろう。40年前、その鳥取で新人の私は陸上競技を夢中で放送していた。もちろん、ラジオだったし、今回の日本選手権を開いた立派な競技場ではなかったのだが・・・



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