Column No.94 (2004/09/22デイリースポーツ掲載分)
◎ストライキに思う

 9月17日金曜日、プロ野球の歴史的な日に私はヤフーBBスタジアムにいた。プレーオフ進出をかけて激しく争うロッテが近鉄を吸収合併しようとしているオリックスと対戦、サブローの満塁ホームランで快勝したのだが、この夜のヤフーは試合以上にストライキ突入か否かが大きな焦点となっていた。試合が終わり、殊勲者のサブローのインタビュー、何事もないのかと思っていると、インタビューの終わりを待ちかねていたように、8時55分、「ストライキによる明日、明後日の試合中止」が場内アナウンスと電光スクリーンで知らされた。土曜、日曜の放送予定でヤフーに来ていた私はストライキで仕事がなくなった。
 実はストライキで放送が出来なくなったり、逆に放送担当になったりしたことを私は何度も経験している。NHK時代の若い頃、当時は組合が強かったので12月、3月には毎年のように闘争が行われた。放送するのを楽しみにしていた京都の高校駅伝、選抜高校野球、琵琶湖毎日マラソンがストの影響で担当出来なくなり、スタジオや部屋で待機をしたりパトロールした。変わりに放送する管理職のアナウンサーの嬉しそうな様子に悔しい思いをさせられたものだ。もちろん、その逆もあり、後に管理職になって若いアナウンサーの仕事を奪ってしまったことも苦い辛い思い出として残っている。いずれにしても、ストライキをするということは賃金カットも含め血を流し、身を切る思いにさせられるものだ。避けられるなら避けてほしいものなのだ。
 ただ、今回のように試合を行う側のストで仕事をしなかったというのは40年のアナウンサー生活で初めての経験だった。そして、選手会は労働団体とはいいながら、ストのやり方は一般的な労働争議とは違うことに気がついた。ストの二日間、選手たちは練習をしたり、トレーニングを行っていた。ファンとの交流会、サイン会が大いに盛り上がって、別の意味で効果があったようにも思われた。私は自宅待機で抗議の意思を表すのかと思っていただけに、「痛みのないストライキのやり方もあるんだなあ」と、妙な関心をしてしまったのだが・・・・ともあれ、月、火はまた神宮と西武のマイクを握っていた。しゃべりにくいものですよ、この状況は・・・・・



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