Column No.107 (2004/12/22デイリースポーツ掲載分)
◎ 親分のダミ声


 今週の月曜日、大阪の「りそな銀行」の依頼で講演を行った。阿部野橋支店長の土田雅彦さんは長いこと勤めた銀行を退職して新しい道を求めて東京から経営再建に取り組むりそな銀行にトラバーユしたという。転職して半年、土田さんは銀行と地域を結ぶ町おこし、文化活動など新しい展開に取り組んでいた。銀行のロビーを開放してのコンサート、今回は大阪南地域の経営者を招いてのフォーラムだった。
 このフォーラムはフルートとハープのミニコンサートがあり、私は勝負の心と題してプロ野球界の名指導者といわれた3人の方のエピソードも交えて話をさせてもらった。大阪の阿倍野だったし、ご年配の経営者がほとんどだったので、南海ホークスの鶴岡一人さんの思い出を語った。親分といわれた鶴岡さんは声も顔も恐ろしかったが、仕事をはなれれば、温かい思いやりに溢れた方だった。いい気になってしゃべっていた若い私を親分は、そっと諭してくれたものだ。「選手には親もいれば妻も子もあるんやで。その人たちがあんたの放送を聞いているんや。批判は大事やが、暖かい心づかいというものがあるはずや」
 親分という古めかしいニックネームだったが、新しい発想を持った方だった。今では当たり前のスカウトやスコアラーを最初に取り入れ、活用したのも鶴岡さんだと聞かされた。
 「あれは最初にわしがやったんや。スカウトなんてまだいわず探題というたもんや」優れた指導者は、みなそれぞれの俺流があるものだ。翌日。堺市本願寺別院にある親分の墓参りをした。
 すぐ近くに鶴岡さんを支えた杉浦忠さんと広島の黒田投手のおかあさんの墓があった。案内してくれた元NHKの毛利康子さんがつぶやいた。「黒田君のお父さんは肩は強かったし息子さんよりずっとハンサムやった。高橋ユニオンズができたとき、いい選手を送らねばと泣く泣く黒田一博選手を出したと聞いています」
 南海からダイエーそして新しいティーム名は24日に発表(福岡ソフトバンク・ホークスになりました)される。「ホークスだけは残しといてや」墓前に手を合わせると懐かしい親分のダミ声が聞こえてくるようだった。



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