Column No.139 (2005/08/17デイリースポーツ掲載分)
◎ 陸上はまだまだ

 ヘルシンキで行われた陸上競技の世界選手権がようやく終わった。やれやれ、やっと静かになる。ホスト局のTBSが地上波をフルに使って終日中継したことは十分に評価できるが、あのうるさい実況とはしゃぎすぎのキャスターどもに、いささかうんざりしていたので、こんな感想になったのだ。
 水泳と陸上を比較すると、陸上は、まだ世界の上位で戦えるほどの戦力、自力ではないようだ。日本の陸上競技はいびつな発展の仕方が続いている。結果として「マラソン至上主義」になっているからだ。勿論、陸連の指導者たちはトラックとフィールドで世界で互角に戦えることを目指している。しかし、日本はマラソンしか結果が出せない。今度、室伏が怪我で欠場すると、なおのことそのように感じてしまうのだ。陸上競技は「投げ、跳び、走る」というバラエティに富んだ種目が、今回も36種目行われた。マラソンは、その中の一つに過ぎないのだ。
 今度の世界陸上でメダルを獲得したのは男子の400m障害とマラソンだった。為末大と尾方剛。2人とも偶然とはいえ、広島県の出身である。広島はかって陸上王国と言われるほど、著名選手を輩出してきたが、最近はあまり目立たなくなっていた。
 2人に共通しているのは「こだわり続けて」この競技をやり続けていることだ。ともに怪我や挫折と戦いながら、凄まじい執念をレースに見せている。このこだわりがテレビ観戦者の心を激しく叩くのだ。
 もう、10年前のことになろう。為末が法大に入学した頃、私は日本選手権の陸上競技の中継を実況していた。解説者の渡部近志さんは法大の監督で、為末ら新人を放送のアルバイトとして連れてきてくれた。「こいつは、将来世界で戦えますから」為末は放送で使うコース表の作成や本部で出す記録の運び役だった。大急ぎで高い階段を駆け上がり、駆け下りていた。渡部さんは「放送の世界をみるのも役に立つ」と考えたのだろう。私も広島勤務中に高校生で活躍していた為末を見ていたし、物怖じしない明るさに期待感をもったものだ。しかし、まさか世界選手権で2度も銅メダルをとるほどの選手に伸びるとは予測できなかった。
 400m障害は陸上の多くの種目の中で最も過酷なものである。全力で400メートルを駆け抜ける走力はスピードとパワーを兼ね備えていなければならない。その上に障害を跳ぶという技術とスタミナも必要にになる。為末のあのフィニッシュは、まさに死闘であった。
 マラソンの尾方の怪我を乗り越えた執念にも感服した。山梨学院大の箱根のアンカーとして活躍、優勝のゴールテープを切ったのは2年生の時、ラジオの実況を私はやっていた。それから長い怪我と不振に私は名前を忘れていたほどだ。「ほいじゃが、どうかいのぉ。よおやりおった」と思わず広島弁が出たほどだ。
 世界陸上、2年後は大阪開催となる。もっと、色々な種目で世界と戦えるようになって欲しい。



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