Column No.143 (2005/09/14デイリースポーツ掲載分)
◎ キムの復活

  「1年前の全米オープンの決勝戦の日、あなたはどうしていましたか」悲願の初優勝を達成したコート上でキム・クライシュテルスはインタビューを受けた。「スタンドで観戦していました。左手首の手術をしてリハビリを始めた頃でしたから」
 女子テニスのベルギーのクライシュテルスは01年にハードヒッターとして頭角を表しグランドスラムで4回決勝戦に進出してきた。
 01年の全仏ではカプリアテイにあと2ポイントで優勝まで追い詰める大接戦を逆転された。その後の全仏、全米、全豪は全て同じベルギーの先輩・エナン・アルデンヌに一蹴され涙を飲んだ。走って、打って攻めまくる豪打はエナンのバランス型のテニスに阻まれ続けたのである。
 04年1月の全豪の決勝で敗れてからクライシュテルスには不幸が続いた。足首の故障、そして左手首の怪我は手術にまでおいこまれた。ハードに走り打った彼女の身体が悲鳴をあげ、壊れてしまったのだ。それほどに現代のテニスは過酷な戦いである。この1年のクライシュテルスは怪我と婚約が決まり12月に挙式を予定していたヒューイットとの突然の破談という混乱の中にいたのだ。
 女子の決勝戦はグランドスラム5回目の決勝に臨むクライシュテルスと30歳で今季復活したフランスのメアリー・ピアスの間で争われた。ピアスもまた試練の中からの再起だった。若くして全豪と全仏のチャンピオンになったピアスだが、その後は波乱のテニス人生を過ごしてきた。フランス人だか育ったのはアメリカ、フランス語もままならず、フランスでは批判を浴び続けた。
 大リーグのスター選手との恋の破局、父親との葛藤、腰、背中、脚とあちこちの怪我、トレーニング不足からの太りすぎと選手生命も終わりかと思われていた。しかし、ピアスは練習環境を改善し復帰してきた。「いまはテニスを楽しんでいる」とよく語るように、戦いの中にも表情豊かにに笑顔もみせ、相手の好プレーにラケットを叩いて祝福する余裕もみせる。そんなテニス人生を凝縮させた今年の全米オープンテニスの決勝はスコアーだけみるとクライシュテルスの一方的に見えるが、内容は決して悪かったわけではない。優勝を決めたクライシュテルスは家族とコーチのいる観客席に駆け上がっていった。そこは昨年の決勝戦で悔しさに耐えて観戦した場所でもあったのだ。怪我を克服して彼女のテニスは変化した。攻め続ける攻撃型から攻守のバランスへ、1試合集中し続ける瞳の輝きがなんとも言えず美しかった。勝負の極意は攻めと守りのバランス、勝機を的確にとらえ、集中する。一緒に放送した解説の遠藤愛さんがこう締めくくった。「キムが一番勝ちに飢えていましたから」



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