Column No.162 (2006/02/15デイリースポーツ掲載分)
◎ 安らかに、がんさん


 藤田元司さんの告別式が今日、東京・芝の増上寺で営まれる。ここ、6、7年は人工透析を受け、厳しい闘病生活を続けておられたので、「ああ、終にその日が来てしまったのか」と悲しみで言葉も出なかった。「がんさん」とのお付き合いはNHKの解説者になられてから、仕事以上に魚釣りやゴルフで楽しいひと時を過ごさせてもらったことが思い出深い。殊に、私の広島時代、放送の終わった翌日、川上哲治さん、藤田さんと一緒に瀬戸内海でめばるやチヌつりに出かけた。
 広島独特のチヌ釣りに「かぶせ釣り」という釣り方があり、至極気に入られた。殻の付いたかきの身にはりをかけ、そおっと海の中に流してゆく。かきの殻が錘の役目をする。チヌがかきの身をすうっとすう瞬間にあわせるという、非常に繊細でスリリングな釣りである。釣りを止めるときを納竿というのだが、川上さんと藤田さんは対照的だった。川上さんは最後に1匹釣るまで粘りに粘った。藤田さんは潔くさっぱり納めるタイプだった。
 「悲運のエース」「球界の紳士」とキャッチフレーズの付いた藤田さんだが、少年時代はかなりのつっぱりで正義感の強い暴れ者だったと、昔の仲間はいう。「瞬間湯沸かし器」という人もいる。人に見られないところでは「かあっと」なっていたのだ。それを、藤田さんは押さえ、我慢していた。
 「巨人軍の選手は紳士たれ」「立ち居振る舞いに気を配れ」と選手に説いた。身だしなみ、出処進退に厳しい方だった。いつも、男気をさりげなく出す方だった。西鉄に立ち向かった悲運のエース時代、肩を痛めるほどにマウンドを死守し続けた。長島解任の後を受けた緊急の監督時は先を見通して、王さんを助監督に、牧野コーチとの三人で結ばれた「トロイカ方式」を見事に成功させた。
 日本一のインタビューを今でも私は憶えている。「コーチと選手に恵まれました」と手柄を人に譲る男気こそ、藤田元司の真骨頂なのだ。2度目の監督も王監督の退任の後を受け、すでに体調が思わしくないのを覚悟しての「登板」だった。命を縮めたのは緊急時に巨人を救った「代償」、そのことを分かっていてなお、「がんさん」はわが道を行ったのだろう。
 「がんさん」の呼び名の由来は名前の「もとし」を「がんじい」、インドのガンジー首相にもなぞらえたと聞く。「がんさん、ご厚誼ありがとうございました。出処進退を過たず、忘れるものではありません」



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