Column No.195 (2006/10/11デイリースポーツ掲載分)
◎ 過剰なメール

 今年も日本学生協会が発表した高校の対外試合禁止、謹慎、警告の処分を暗澹たる想いで読んだ。対外試合禁止は11件、謹慎は8件、警告は13件、相も変わらず部員の暴力、窃盗、喫煙、強制わいせつなどだ。如何に監督や部長の指導力のなさ、社会性に欠けているかということだろう。野球の技術は教えられても、育てることが出来ないのだ。「野球バカ」の指導者が蔓延しているということだろう。
 その中で、ちょっと目に付いたのは、部員26人が他の学校の女子生徒に嫌がらせのメールを送り、3ヶ月の対外試合禁止の処分を受けた一件である。詳しいことは判らないが、メールアドレスを教えた女子生徒の方にも何らかの問題はなかったのだろうか。日本は世界一の「メール天国」だ。電車に乗ると座っている人の一列の半分は携帯とにらめっこ、激しく指を動かしメールを送っている。一番多いのは若い女性、次におばさん、次に若い男性、携帯のメールを打っていないと心配なのだろう。大事な用件を打つというより、おしゃべり感覚なのだ。日本にいると当たり前の光景だが、世界の若者がそうなのかというと、必ずしもそうではない。今年もテニスの放送で3週間パリにいて地下鉄で会場とホテルを往復したのだが、乗客を見渡してもメールをやっている人をついぞ見かけたことが無い。カフェのテラスでコーヒーを楽しみながら、若者は会話に熱中している。テニスの会場を歩いていても、携帯電話にしがみ付いている人は、非常に少ないのだ。
 ニューヨークに行くと、様相は少し違う。携帯電話をしている人はパリより多い。それでも、マンハッタンから地下鉄や電車に乗って見渡すと、携帯のメールに向かっている若者は少ない。日本の若者はファッションにしても、携帯の使い方にしてもみな同じ、特徴がない。皆と同じことをしていないと不安なのか、仲間はずれにされてしまうと思い勝ちなのではあるまいか。
 今人気の「ハンカチ王子」の斉藤投手がメールについて問われた記事を、私は興味深く読んだ。「メールはやるけど、返事はいつもだすわけではありません。同じ部屋にいるのに、なぜメールしてくるのか、僕にはわかりません。近くにいるのなら話せばいいでしょう」そう、そう、そうなんだよ。斉藤君の神経がほんとうは、普通なのだと思う。職場でもこうゆことがよくある。見えているのに、メールを打ってくる。どこか日本の若者は奇異なのだ。でも、これが当たり前になっているのかも知れない。私は携帯のメールはやらない。携帯は話すために使う。パソコンのメールはやる。仕事などで必要な時だけだ。勿論、この原稿はメールで送っている。時代遅れでも、自分の生き方に拘りたいのだ。



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